国立公園局の管理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 15:25 UTC 版)
「ハンプトン国立史跡」の記事における「国立公園局の管理」の解説
ハンプトンの残っている62.04エーカー (25.11 ha) の敷地はハンプトン・レインに跨り、現在は国立公園局が管理し、一般公開され、豊富な無料駐車場、土産店があり、車椅子でも邸宅を訪問できる。訪問客は邸宅のガイド付きツアーが提供され、そこではリッジリー家の所有していた当初の家具や、絵画、銀器、陶器など7,000点におよぶ収集品を見ることができる。邸宅以外にも18世紀から19世紀半ばまでの時代に建てられて、現在も残っている当初の建造物9棟も見られる。 ファームハウス – 邸宅から北、1,900フィート (580 m) にあり、奴隷小屋に隣接している。リッジリーがこの土地を購入した1745年より以前のものと考えられている。邸宅が建てられていた1780年代に、リッジリー家はここに住んでいた。その後は農園のマネジャーや監督者の住まいになっていた。ジョン・リッジリー・ジュニアとその妻が邸宅を明け渡した1948年より後、この夫妻は死の時までここに住んでいた 奴隷小屋 – ファームハウスに隣接して石造りの建物2棟が保存されている。現在はハンプトンでの奴隷の生活について対話型の展示が行われている。チャールズ・カーナン・リッジリーが、逃亡奴隷に戻って来た場合の報償を提案する新聞広告や、ジョン・カーナンとエリザの娘が、奴隷の子供達のために1841年から1854年まで贈っていたクリスマスの贈り物のリスト、などが展示されている 酪農場 – 1800年以前の石造建築 ラバの厩舎 – 1845年頃の石造 ロングハウス/穀倉 アッシュハウス、丸木造り、およびハト小屋 一般公開されている時間帯に、敷地内のガイド無しのツアーも可能である。農園、フォーマル庭園、家族墓地、リッジリー家のサラブレッド馬のための石造厩舎2棟などが見られる。当初の温室(1824年建設)の再建物も見られる(当初の木製の温室は1926年に焼失した。1976年に最初のものの基礎の上に再建された)。深さが34フィート (10.4 m) の氷室が邸宅近くに残っており、公開されている。1820年代にリッジリー家が植えた木で残っているものの中に、大きなチューリップツリー(ユリノキ)、ヨーロッパブナ、キササゲがある。見事なレバノンスギは、エリザ・リッジリーが中東から苗を持ち帰ったものが成長して、アメリカ国内でも最大級の木になっている。 年間を通じて多くの特別行事が計画されている。例えば、室内楽のコンサートやハープシコードの演奏が、邸宅の装飾の多い大広間で行われ、酪農場でのミルク絞りのデモンストレーションは乳絞り女のコスチュームを着た者が行う。馬車の運行、大鎌による干し草刈り、トウモロコシの収穫、鍛冶屋のデモンストレーション、ジョスト(騎士の一騎討ち)の再現、などがある。「ボルチモア・サン」紙は、2008年にハンプトンを35,000人の観光客が訪れたと報告した。 地元のコミュニティは「ヒストリック・ハンプトン」とよぶ非営利友好団体を通じて、史跡の保存を支援している。国立公園局が内装の歴史的な正確さや解釈的な可能性(歴史考証)を獲得するのを支援し、様々な活動を提示した。2008年5月、国立公園局が195,000ドルの助成金を公表すると、邸宅内装の修復のためにヒストリック・ハンプトンも同じ額の資金を集めて対抗した。国立公園局は、研究者のために、1750年から1990年までのリッジリー家の古文書保管庫も現場で維持している。
※この「国立公園局の管理」の解説は、「ハンプトン国立史跡」の解説の一部です。
「国立公園局の管理」を含む「ハンプトン国立史跡」の記事については、「ハンプトン国立史跡」の概要を参照ください。
- 国立公園局の管理のページへのリンク