国立公園局による管理と保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 22:04 UTC 版)
「ヨセミテ国立公園」の記事における「国立公園局による管理と保護」の解説
アメリカ合衆国国立公園局は1916年に設立され、ヨセミテも同局に移管された。トゥオルミ・メドウズ・ロッジ、タイオガ・パス・ロード、またテナヤ湖、マーセド湖のキャンプ地も同じ年に完成した。全天候対応のハイウェイが建設されてからは、公園内に入る自動車の数が急増した。1926年には、アンセル・フランクリン・ホールの尽力により、ヨセミテ博物館が開館した。 1903年、公園北部のヘッチ・ヘッチー渓谷に、サンフランシスコ市内へ水と電力を供給するためのダム建設計画が持ち上がった。ミューアやシエラクラブをはじめとする保護論者(プリザベーショニスト)はこれに反対したが、ギフォード・ピンチョットら、環境保護と天然資源の利用の調和を主張するコンサベーショニストと呼ばれる人々は計画を支持した。1913年、連邦議会はオショーネシー・ダムの建設を認めるレイカー法を可決した。 その後、保護論者の主張を受けて、連邦議会は公園の89%に当たる27万4200ヘクタールを「ヨセミテ自然保護区域」に指定した。国立公園局は、夜間、グレイシャー・ポイント近くの岩壁から赤い火の塊を落とす「ファイアフォール(火の滝)」というイベントが行われていて呼び物になっていたのをやめさせるなど、本来の自然に反する集客イベントの廃止を進めた。また、夏期の交通混雑も大きな問題となった。現在、自動車で公園を通り抜けることは可能であるが、園内では無料のシャトルバスが数路線走っており、これを利用することが推奨されている。 1984年、ヨセミテ国立公園はユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。
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