こくりつ‐いりょうびょういんかんりけんきゅうじょ〔‐イレウビヤウヰンクワンリケンキウジヨ〕【国立医療・病院管理研究所】
国立医療・病院管理研究所
国立医療・病院管理研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 16:50 UTC 版)
「東野定律」の記事における「国立医療・病院管理研究所」の解説
大学院修了後、厚生省の施設等機関である国立医療・病院管理研究所にて、非常勤職員および協力研究員として勤務し始めた。その後、2001年に中央省庁再編が行われ、厚生省は廃止され、新たに厚生労働省が設置された。それにともない、国立医療・病院管理研究所も厚生労働省の施設等機関として位置づけられた。同年、国立医療・病院管理研究所にて、医療経済研究部の協力研究員となった。
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国立医療・病院管理研究所
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「国立医療・病院管理研究所」の記事における「国立医療・病院管理研究所」の解説
1990年に組織改正を行ない、国立医療・病院管理研究所となり、研究内容も政策がメインへと変化した。1992年に戸山庁舎に移転、3研究所及び向かいに隣接する国立国際医療センターは連絡協議会を開くなど、交流を密にしていた。 行政改革の影響を受け、1995年1月に厚生省は8つの研究所を6つに再編する案を出した。当研究所は国立保健医療福祉政策研究所(仮称)として国立公衆衛生院と統合する計画が打ち出された。2002年4月に国立保健医療科学院として国立公衆衛生院及び国立感染症研究所口腔衛生部と統合、機能も埼玉県和光市に移転して現在に至る。
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