旧国立病院医療センター
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「国立国際医療研究センター」の記事における「旧国立病院医療センター」の解説
1871年 7月5日、兵部省に軍医寮設置、軍医寮附属病院として本病院を設置。同日、初代院長に松本順が就任(- 1879年) 1872年 2月27日、兵部省を廃止して陸軍省と海軍省を設置、軍医寮は陸軍省所属となる 1873年 5月24日、陸軍本病院となる 1879年 陸軍省内に軍医本部設置 1881年 6月25日、東京陸軍病院と改称 1886年 軍医本部廃止、医務局設置。2月25日、東京鎮台病院と改称 1888年 東京衛戍病院と改称 1903年 東京第一衛戍病院と改称、現在の世田谷区太子堂の東京衛戍病院世田谷分院(のちの国立小児病院)が東京第二衛戍病院と改称 1911年 5月、現在の静岡県熱海市に東京第一衛戍病院熱海分院を設置 1918年 3月12日、衆議院にて「東京第一衛戍病院移転ノ請願」が採択される 1929年 病院建物を新築(総コンクリート製)して移転、隣接地に麹町区富士見町から陸軍軍医学校が移転 1936年 東京陸軍第一病院と改称 1938年 臨時東京第一陸軍病院となる 1945年 陸軍財産が占領軍に接収される。病院は「陸海軍病院に関する覚書」(11月19日付)に基づき占領軍から内務省を通して厚生省へ移管。12月1日、国立東京第一病院、国立東京第一病院熱海分院、国立東京第一病院小諸分院発足 1946年 4月、国立相模保育所が国立東京第一病院相模保育所となる。9月、小児科病棟開設 1947年 附属看護学校開校 1948年 1月、寿産院事件の被害児6名を収容。4月25日、国立東京第一病院相模保育所が国立東京第一病院二宮分院となる 1949年 6月1日、敷地内に病院管理研修所(現・国立保健医療科学院)が開所。病院長が所長を併任する。7月1日、国立病院特別会計開始 1950年 4月、小諸分院が国立小諸療養所として分離独立。7月、熱海分院が国立熱海病院として分離独立 1954年 3月、第五福竜丸被爆、乗組員16人が入院。7月12日、日本初の人間ドック開始。9月23日、入院中の第五福竜丸無線長、久保山 愛吉が死去 1955年 12月、日本医療団の清算財産の一部により病院管理研修所建物竣工 1961年 病院管理研修所、病院管理研究所と改称(病院長の所長併任解除) 1965年 4月、国立小児病院発足に伴い、二宮分院を国立小児病院二宮分院に組織再編 1971年 臨床研修指定病院に認定、中央棟(地上16階地下2階)竣工 1972年 2月、グアム島から帰還した横井庄一が入院 1974年 3月、ルバング島から帰還した小野田寛郎が入院。4月15日、国立病院医療センターと改称、臨床研究部設置 1977年 看護学校の大型化(定員120名→300名) 1986年 「国立病院・療養所の再編成について」(再編成計画)により、国立療養所中野病院との統合、「国立国際協力医療センター(仮称)」の設置が公表される。10月、国際医療協力部設置 1988年 4月、エイズ医療情報センター設置 1990年 7月、病院管理研究所、国立医療・病院管理研究所に改称 1992年 8月、国立医療・病院管理研究所、厚生省戸山研究庁舎(東京都新宿区戸山1-23-1)に移転する
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