寿産院事件
寿産院事件(1948年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:37 UTC 版)
「貰い子殺人」の記事における「寿産院事件(1948年)」の解説
ミルクや食べ物をほとんど与えないなど必要な世話をせず、また、病気になっても治療をしないことによって、1947年1月からの一年間で、預かった112人の嬰児のうち、85人を死亡させた。これらの嬰児の大部分は私生児で、貴族の子も2人いたという。預かり料は嬰児一人あたり最高8400円で、1947年だけで90万円を荒稼ぎしていた。院長の女とその夫と助手の女が殺人罪で起訴され、1948年10月11日、東京地裁は、院長の女に懲役8年、夫に懲役4年、助手の女には無罪を言い渡した。
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寿産院事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:24 UTC 版)
1944年(昭和19年)4月から1948年(昭和23年)1月にかけて東京都新宿区市谷柳町の寿産院院長とその夫が85人から169人(正確な数は不明)の嬰児を凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で殺害した。同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、養育費を受けとりながら食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。
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