日本における制定の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 14:12 UTC 版)
「優生保護法」の記事における「日本における制定の背景」の解説
日本では1880年(明治13年)に堕胎罪が規定され、母体の生命が危険な場合など一部の例外を除いて人工妊娠中絶が禁止された。1934年(昭和9年)には「民族優生法」案が議員提案され、1940年(昭和15年)に政府提案により国民優生法が制定された。国民優生法は「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加を防遏するとともに健全なる素質を有する者の増加を図り、もって国民素質の向上を期することを目的」とし、優生思想の導入および不妊手術や人工妊娠中絶の規制を図り、戦時下の人口増加政策を担うものであった。 戦後、1948年(昭和23年)に優生保護法に改められた。優生保護法は、名称から連想される優生政策、つまり、特定の障害・疾患を有する者を「不良」と扱い、そこから子孫が生じることのないよう強制的に不妊手術(優生手術)を行うことのほか、法律名称上は表れていないものの、母体保護の見地から一定の要件下での中絶・不妊を合法化すること、という2つの目的を有するものであった。 優生保護法の立法に至った背景には、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦による望まぬ妊娠(GIベイビー)の問題といった国内事情、1948年1月に発覚した寿産院事件との関連性、(法継受の観点で)ナチス・ドイツによる優生政策・断種法が戦後の日本の法制度へ与えた影響など、様々な考察が存在する。
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