作曲の経過と初演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 09:36 UTC 版)
武満には雅楽に親しみを感じていた一方で天皇制に対する拘りから宮中の音楽である雅楽を作曲することには抵抗感があったが、「この魅惑的な素材を一枚の鏡として自分を映してみたい」という考えに至った。また、雅楽で使われる様々な楽器を知るチャンスという実利的な思惑もあって国立劇場からの委嘱を引き受けた。なお、武満は1960年代には主に映画や劇音楽の分野で琵琶や尺八などの和楽器を使っており、雅楽の楽器も『源氏物語』(1965年)や『源義経』(1966年)の中で既に用いている。 武満は宮内庁の楽師の元を何度か訪れて奏法を研究した。武満自身は自らの雅楽作品について「格別の試みはない」と述べているものの、実際には龍笛(りゅうてき)と高麗笛(こまぶえ)を一緒に演奏させることや、箏(そう)の奏者が左手で音程を操作する「押し手」を使うこと、普段は使われない篳篥(ひちりき)の低音域を使うことなど、雅楽の演奏に関するタブーに挑戦している。 国立劇場の委嘱は1972年の公演で初演することを見越してのものだったが、武満の作曲は予定した年には間に合わず一年遅れの1973年10月に完成した。曲のタイトルについては、武満は欧文による "In an Autumn Garden" しか考えておらず、木戸が雅楽の古典曲『春庭歌』に因んで『秋庭歌』という邦題を付けた。 『秋庭歌』は普段から雅楽になじみの薄い人にとっては雅楽の古典曲のように聞こえる曲であるが、初演を担当した宮内庁式部職楽部の楽師たちは、微分音の指定すらある五線譜での演奏に加え、伝統的な雅楽にはないオーケストレーションや慣れないフレーズ、ハーモニーなどに困惑した。 曲の完成から半月後の1973年10月30日、国立劇場第15回雅楽公演において初演が行われ大きな成功を収めた。また、翌1974年には宮内庁式部職楽部による『秋庭歌』を収録したレコードが音楽之友社主催のレコード・アカデミー賞(特別部門/日本人作品)を受賞している。
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