再評価と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 06:41 UTC 版)
1958年(昭和33年)朝日新聞3月27日付に巖谷大四が『第七感の文学』の一文を寄せ、当時デビューしたばかりの大江健三郎や石原慎太郎らと比較し、翠が独自に確立していた文学手法の先駆性を指摘する。地元のNHK鳥取放送局も翠の健在を知ってインタビューしようとするものの、翠は頑なに辞退した。その後も少しずつ再評価の機運はすすみ、1969年(昭和44年)、花田清輝・平野謙の推奨で「全集・現代文学の発見」6『黒いユーモア』に『第七官界彷徨』が収録される。ただ地元のマスメディアからの寄稿依頼、出演依頼は辞退し続けるばかりであった。1971年(昭和46年)5月、薔薇十字社より作品集刊行の連絡が入ったものの、6月には予てから患っていた高血圧と老衰のため、橋浦泰雄と弟橋浦時雄らの生協運動の理念の延長のもとに創設された鳥取生協病院に入院し、肺炎を併発したため、同年7月8日に最期の時を迎えることになった。享年74。戒名は翠作院釈浄慧大姉。墓所は鳥取県鳥取市職人町の浄土真宗本願寺派養源寺、母方親族山名家が住職をつとめる寺院である。同年11月薔薇十字社より作品集『アップルパイの午後』が刊行された。
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