方臘軍
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「方臘軍」の解説
江南で支持を集めていた宗教集団の教祖、方臘が率いる勢力。宗教による熱狂と陶酔を利用して信者たちを度人(どじん)へと変貌させ、死をも恐れぬ集団として操る。一方で正規軍も創設しており、度人の群れに軍を隠すことで従来の軍学が通用しない戦いを行う。数年かけて準備を整えていたが、梁山泊の工作により決起。宋軍と激突する。史実においてはその宗教はマニ教系であるとされるのが定説だが、本作では道教系の勢力であると設定されている。なお史実の方臘は決起時に道観を多数破壊しているため少なくとも道教系の勢力でないことだけは確実である。 方臘 (楊令伝)江南を拠点とする宗教集団の教祖で「喫菜事魔」の教えを説き、熱狂的な支持を得る。信者たちは史実同様に「この世は苦しみに満ちているのだから、死ぬことや殺すことが幸福である」という度人の思想の実践者となり、屍を乗り越えて宋軍に迫っていく。かつての梁山泊の戦いに影響を受け、「王になるために」叛乱を起こすことを決意。宗教の力を利用して百万もの民衆を扇動する。豪放にして怜悧な性格。清濁併せ持ち、人を惹きつけるだけの強い魅力を放つ。 度人と正規軍の連携や、己の命を平気で死地に晒すという常軌を逸した行動で童貫を苦戦させた。だが長い死闘に敗北し、青渓にて館に火を放って自害した。だが度人の群による戦は、童貫軍の童貫以下の将兵に深刻な心の傷を与えた。史実でも江南の宗教叛乱勢力の頭目。本作での梁山泊のように塩賊茶賊の力を背景に叛乱を起したとされる。なお、史実よりも一年ほど反乱の期間が長引いている。 石宝(石元帥) (楊令伝)方臘軍の元帥。方臘とは古い付き合いで、武挙に合格した過去を持つ。叛乱の準備を着々と進め、蜂起後は正規軍を指揮。膨大な度人の群れを利用して童貫を苦戦させる。武勇と軍略に優れ、本心では一介の武人として童貫と戦うことを望んでいる。最後の戦いで童貫・劉光世・岳飛率いる軍と戦い、童貫にその実力を認められるも負傷して捕縛される。最期は戦いに満足しつつ岳飛の手で斬首された。 包道乙 (楊令伝)方臘の宗教集団の幹部。信者たちを取りまとめ、度人として戦いへと送り出す。また信者を使った兵站の確保も担当していた。正規軍を率いる石宝との折り合いは良くないが、方臘への忠誠と言う点では一致している。最期は方臘に従い殉死した。 鄧元覚 (楊令伝)方臘軍の幹部。信徒で構成された軍の指揮官で、正規軍の支援を担当することが多い。石宝らと共に童貫に勝利するも、その油断を突かれて逆襲を受け戦死する。 婁敏中 (楊令伝)方臘の側近で、護衛も務める。初老ながら、燕青や武松に匹敵するほどの体術を遣う。方臘より先に死ぬために趙仁(呉用)を迎えに来た武松と闘い、敗死した。 方貌 (楊令伝)方臘の弟。地味だが粘り強いところがあり、包道乙らと共に信徒を集め度人に仕立てる。その反面、軍学を無視した命令を下したために、趙仁の作戦を台無しにしたことがある。童貫戦の最終局面で戦死。 方天定 (楊令伝)方臘の息子。方臘軍の丞相だが父親の威光を頼んだ僭越な振る舞いが多く、石宝には不安視されていた。態度を改めなかったため方臘の手で処断された。
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