方臘軍とは? わかりやすく解説

方臘軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「方臘軍」の解説

江南支持集めていた宗教集団教祖方臘率い勢力宗教による熱狂陶酔利用して信者たちを度人(どじん)へと変貌させ、死をも恐れぬ集団として操る。一方で正規軍創設しており、度人の群れに軍を隠すことで従来軍学通用しない戦いを行う。数年かけて準備整えていたが、梁山泊工作により決起。宋軍と激突する史実においてはその宗教マニ教系であるとされるのが定説だが、本作では道教系の勢力であると設定されている。なお史実の方臘決起時に道観多数破壊しているため少なくとも道教系の勢力でないことだけは確実である。 方臘楊令伝江南拠点とする宗教集団教祖で「喫事魔」の教え説き熱狂的な支持を得る信者たちは史実同様にこの世苦しみ満ちているのだから、死ぬことや殺すことが幸福である」という度人の思想実践者となり、屍を乗り越えて宋軍に迫っていく。かつての梁山泊戦い影響を受け、「王になるために」叛乱起こすことを決意宗教の力を利用して百万もの民衆扇動する豪放にして怜悧な性格清濁併せ持ち、人を惹きつけるだけの強い魅力放つ。 度人と正規軍連携や、己の命を平気で死地晒すという常軌を逸した行動童貫苦戦させた。だが長い死闘敗北し、青渓にて館に火を放って自害した。だが度人の群による戦は、童貫軍の童貫以下の将兵深刻な心の傷与えた史実でも江南宗教叛乱勢力頭目本作での梁山泊のように塩賊賊の力を背景叛乱起しとされる。なお、史実よりも一年ほど反乱の期間が長引いている。 石宝(石元帥) (楊令伝)方臘軍の元帥方臘とは古い付き合いで、武挙に合格した過去を持つ。叛乱準備着々と進め蜂起後は正規軍指揮膨大な度人の群れ利用して童貫苦戦させる。武勇軍略優れ本心では一介武人として童貫と戦うことを望んでいる。最後の戦い童貫劉光世岳飛率いる軍と戦い童貫その実力を認められる負傷して捕縛される最期戦い満足しつつ岳飛の手斬首された。 包道乙楊令伝方臘宗教集団幹部信者たちを取りまとめ、度人として戦いへと送り出す。また信者使った兵站確保担当していた。正規軍率い石宝との折り合い良くないが、方臘への忠誠と言う点では一致している。最期方臘従い殉死した鄧元覚楊令伝)方臘軍の幹部信徒構成された軍の指揮官で、正規軍支援担当することが多い。石宝と共に童貫勝利するも、その油断突かれ逆襲を受け戦死する婁敏中楊令伝方臘側近で、護衛務める。初老ながら、燕青武松匹敵するほどの体術遣う方臘より先に死ぬために趙仁(呉用)を迎えに来た武松闘い敗死した。 方貌楊令伝方臘の弟。地味だ粘り強いところがあり、包道乙と共に信徒集め度人に仕立てる。その反面軍学無視した命令下したために、趙仁の作戦台無しにしたことがある。童貫戦の最終局面戦死方天定楊令伝方臘息子。方臘軍の丞相だが父親威光頼んだ僭越な振る舞い多く石宝には不安視されていた。態度改めなかったため方臘の手処断された。

※この「方臘軍」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
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