菅波茂とは? わかりやすく解説

菅波茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 02:31 UTC 版)

菅波茂
すがなみ しげる
生年月日 1913年2月25日
出生地 日本 福島県いわき市
没年月日 (1982-12-23) 1982年12月23日(69歳没)
死没地 日本 福島県いわき市
(菅波病院)
出身校 昭和医学専門学校卒業
前職 医師
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章
選挙区 旧福島3区
当選回数 6回
在任期間 1967年1月29日 - 1982年12月23日
選挙区 石城郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1963年 - 1967年1月8日
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菅波 茂(すがなみ しげる、1913年大正2年〉2月25日[1] - 1982年昭和57年〉12月23日[2])は、日本政治家医師自由民主党衆議院議員

来歴・人物

福島県いわき市生まれ[1]。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、昭和医学専門学校(現・昭和大学医学部)を卒業後、千葉医科大学第二内科研究室を経て、四倉町にて家業の病院を継ぐ。

1963年(昭和38年)、福島県議会議員石城郡から自民党公認で立候補して初当選を果たした[3]1967年(昭和42年)1月8日に県議を辞職した[4]。同月、第31回衆議院議員総選挙旧福島3区から自民党公認で立候補し初当選(当選同期に塩川正十郎加藤六月河野洋平中尾栄一藤波孝生武藤嘉文坂本三十次塩谷一夫水野清など)。以後6回連続当選。

番町政策研究所に所属。環境、労働各政務次官、衆院文教委員長などを歴任した。生家が漁師網元であったことから水産政策にも深く関わり、自民党政調会の水産部長や海洋対策特別委員長も経験した。

議員在職中の1982年(昭和57年)12月23日、自身が開いたいわき市の菅波病院で死去した[2]。69歳没。同年12月28日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正四位に叙され、勲二等旭日重光章を追贈された[5]追悼演説は翌1983年2月8日、衆議院本会議で上坂昇が行った[2][6]

地盤は田中角栄元首相の娘婿である田中直紀が継承した。

脚注

  1. ^ a b 衆議院追悼演説集 : 第一回(昭和22年)<特別国会>~第九十八回(昭和58年)<通常国会> 364コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c 衆議院追悼演説集 : 第一回(昭和22年)<特別国会>~第九十八回(昭和58年)<通常国会> 363コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 福島県議会史 昭和編 第7巻 157コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 福島県議会史 昭和編 第7巻 1082コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『官報』第16778号10頁 昭和58年1月7日
  6. ^ 第98回国会 衆議院 本会議 第5号 昭和58年2月8日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム
議会
先代
藤尾正行
衆議院文教委員長
1978年
次代
坂本三十次




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