登坂重次郎とは? わかりやすく解説

登坂重次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/09 13:51 UTC 版)

登坂重次郎
とさか じゅうじろう
生年月日 1913年4月3日
出生地 日本 茨城県常総市
没年月日 (1997-03-22) 1997年3月22日(83歳没)
出身校 茨城県立水海道中学校卒業
前職 衆議院議員秘書
所属政党 無所属→)
自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章
選挙区 旧茨城3区
当選回数 6回
在任期間 1963年11月21日 - 1979年9月7日
1980年6月22日 - 1983年11月28日
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登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日1997年3月22日)は、日本の政治家。元衆議院議員自由民主党所属)。現在の茨城県常総市出身。

来歴・人物

会社員・登坂長吉の三男として生まれる。生後間もなく父母と死別し、父方の伯父・豊島重太郎に育てられる。1932年茨城県立水海道中学校(現在の茨城県立水海道第一高等学校)を卒業後、母校・水海道中学校の事務職員等を経て、1940年土浦税務署に入職する。1944年大蔵省本省に出向し、東京財務局(現在の関東財務局)長・池田勇人の秘書となる。以後池田に師事し、1948年池田の総選挙出馬を期に大蔵省を退官し、個人秘書となる。

1963年第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区から無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎伊東正義田中六助渡辺美智雄佐藤孝行藤尾正行中川一郎三原朝雄鯨岡兵輔西岡武夫奥野誠亮など)。以後当選6回。当選後自民党に入党し、宏池会に所属する。経済企画、厚生の各政務次官、衆院文教委員長等を歴任。選挙区に霞ヶ浦を抱えていたこともあり環境問題に熱心で、1980年代初頭には環境アセスメント法案成立のために尽力したが、この時は産業界の強い反対により陽の目を見なかった。1983年、落選により政界から引退した。

1997年3月22日、死去。83歳没。同年4月8日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正四位に叙された[1]

栄典

脚注

  1. ^ 『官報』第2120号11・12頁 平成9年4月18日
  2. ^ 『官報』第155号1頁 平成元年11月4日
  3. ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
議会
先代
渡部恒三
衆議院商工委員長
1982年 - 1983年
次代
梶山静六
先代
久保田円次
衆議院文教委員長
1976年
次代
藤尾正行




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