登坂秀とは? わかりやすく解説

登坂秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 15:11 UTC 版)

登坂 秀(とさか しげる、1923年大正12年)7月15日[1] - )は、日本の政治家渋川市長を務めた。群馬県出身。

経歴

東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科卒業後、1943年に農林省に入省。

1973年、渋川市収入役に就任。1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。1993年、渋川市長選挙に出馬し4回目の当選。1997年、渋川市長選挙に出馬し5回目の当選。連続5期20年間にわたって渋川市長を務めた。2000年、渋川市とイタリア共和国ウンブリア州フォリーニョ市との姉妹都市提携を実現した。2001年、木暮治一を事実上の後継として、政界を引退した。

2023年7月、100歳を迎えたため、現市長の高木勉の訪問を受けた[2]

上記のほかに、群馬県市長会長、群馬県市町村職員共済組合理事長、群馬県農業共済組合連合会長、渋川地区広域市町村圏振興整備組合理事長などの要職を歴任した。

人物

「日本のまんなか緑の渋川」というフレーズを考案し、渋川市を「へその町」として売り出し、「渋川へそ祭り」の開催を推進した。また、渋川市への日本シャンソン館の誘致や渋川市美術館、桑原巨守彫刻美術館の設立にも貢献した。さらに、埼玉県加須市及び本庄市との災害時相互応援協定を締結し、渋川市の安全安心都市の礎を築いた。

主な著書

  • 『美の町 人を潤す』白日社、2002年
  • 『語り継ぐ回天 ああ回天総集編 誕生から戦後六十年の歩み』(共著)赤坂印刷、2005年

脚注

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、93頁。
  2. ^ 市長のフォトレポート(令和5年7月)”. www.city.shibukawa.lg.jp (2023年7月). 2023年7月17日閲覧。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「登坂秀」の関連用語

登坂秀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



登坂秀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの登坂秀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS