湯浅正次とは? わかりやすく解説

湯浅正次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 01:25 UTC 版)

湯浅正次
ゆあさ しょうじ
生年月日 1911年1月4日
出生地 群馬県安中市
没年月日 (1999-01-07) 1999年1月7日(88歳没)
出身校 旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)中退
称号 紺綬褒章
親族 湯浅治郎(祖父)
湯浅三郎(父)
宗教 キリスト教

当選回数 5回
在任期間 1971年4月30日 - 1991年4月29日
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有田屋(群馬県安中市
新島学園中学校・高等学校

湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年明治44年〉1月4日[1][2][3] - 1999年平成11年〉1月7日[2])は、日本の実業家・政治家。新島学園中学校・高等学校新島学園短期大学創設者。安中市長を5期20年に渡って務めた。群馬県安中市出身。

経歴

1911年明治44年)、群馬県碓氷郡安中町(現・安中市安中)に、湯浅三郎の四男として生まれる[1]。実家湯浅家は天保3年(1832年)創業の醸造業有田屋を営んでおり、祖父治郎衆議院議員県会議員、父三郎は25年間にわたり安中町長を、さらに県会議員を務めた。

旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を中退後、1947年昭和22年)に有田屋代表取締役社長に就任して家業を継いだ[4][3]

1947年、財団法人新島学園(現・学校法人新島学園)を創設し、叔父の同志社総長・湯浅八郎を初代校長・理事長として招いた。八郎の没後は正次が学校法人新島学園の理事長となり、1983年(昭和48年)に新島学園女子短期大学(現・新島学園短期大学)を創設した。

1956年(昭和31年)群馬県醤油味噌工業協同組合長[3]1960年(昭和35年)安中市商工会長[3]、同年から1964年(昭和39年)まで群馬県教育委員を務めた[5]

その後、政界に進出し、1971年(昭和46年)の安中市長選挙に出馬し当選[3]。5期20年間にわたって安中市政を司った。

1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)紺綬褒章受章[3]

人物

  • 大叔父に詩人の湯浅吉郎がいる。
  • 伯父に大正期に活躍した洋画家の湯浅一郎がいる。
  • 長男は学校法人新島学園前理事長の湯浅太郎。

脚注

  1. ^ a b 群馬公論社 編『群馬の人物』群馬公論社、1967年12月15日、212頁。doi:10.11501/2984277 (要登録)
  2. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、91頁。
  3. ^ a b c d e f 上毛新聞社出版局 編『群馬県人名鑑』上毛新聞社、1986年11月25日、493頁。doi:10.11501/12192835 (要登録)
  4. ^ 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、558-559頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)
  5. ^ 戦後における群馬県教育史研究編さん委員会 編『群馬県教育史戦後編』 下巻、群馬県教育委員会、1967年3月30日、958頁。doi:10.11501/3045383 (要登録)

関連文献

  • 「新島学園50年の歩み」編集委員会 編『新島学園50年の歩み』1997年。 

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