湯浅正寿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 湯浅正寿の意味・解説 

湯浅正寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/10 04:39 UTC 版)

湯浅 正寿(ゆあさ まさひさ、?~寛永10年(1633年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏藤堂氏の家臣。通称は茂左衛門。

略歴

湯浅直勝の子として誕生。母は織田長益(有楽斎)の娘。

豊臣秀頼に知行3千石で仕えた。大坂冬の陣では二の丸南方と真田丸の背後を兵2千人を率いて守備した。天王寺・岡山の戦いでは毛利勝永寄騎として奮戦する。大坂落城後に藤堂高虎に招かれ、3千石を領した。

寛永10年(1633年)に死去。

子の助左衛門(丹後)は、美作国津山藩主・森忠政に仕えた。その娘・継光院(正寿の孫)は忠政の養子・長継の側室になって後の三日月藩祖・森長俊を産む。[1]

脚注

  1. ^ 湯浅博物館

参考資料

藤堂高虎家臣辞典

「大坂の役」‐旧参謀本部編纂、桑田忠親山岡荘八監修。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  湯浅正寿のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「湯浅正寿」の関連用語

湯浅正寿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



湯浅正寿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの湯浅正寿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS