粟屋敏信とは? わかりやすく解説

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粟屋敏信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 16:00 UTC 版)

粟屋 敏信
あわや としのぶ
生年月日 1926年7月25日
出生地 広島県
没年月日 (2016-09-04) 2016年9月4日(90歳没)
死没地 東京都
前職 国家公務員建設省
所属政党 自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
太陽党→)
民政党→)
無所属の会
称号 従三位
旭日重光章

選挙区 旧広島1区→)
広島2区
当選回数 5回
在任期間 1986年7月6日 - 2003年10月10日
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粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年大正15年〉7月25日[1] - 2016年平成28年〉9月4日)は、日本政治家位階従三位建設官僚衆議院議員 (5期)。

来歴

広島県出身。旧制広島高等師範学校附属中学校旧制広島高等学校東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。

退官後の1983年昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で立候補したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。

第40回衆議院議員総選挙新生党第41回衆議院議員総選挙新進党、その後、太陽党民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙無所属の会から立候補し当選(広島2区)。

衆議院地方行政委員長等を歴任し、2003年平成15年)に政界から引退する。

2004年11月の秋の叙勲で、旭日重光章を受章する[2]

2016年9月4日午前10時39分、老衰のため、東京都内の病院で死去した[3]。90歳没。死没日付をもって従三位に叙された[4]

人物

趣味は読書、ゴルフ[1]

家族・親族

粟屋家
親戚

脚注・出典

  1. ^ a b c d e 『現代人物事典 出身県別 西日本版』広島1197頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月15日閲覧。
  2. ^ 『官報』号外第241号4頁 平成16年11月4日
  3. ^ 元衆院議員の粟屋敏信氏死去 - 時事ドットコム 2016年9月5日
  4. ^ 『官報』第6876号9頁 平成28年10月12日
  5. ^ 『日本紳士録 第80版 2』、す 245頁。

参考文献

議会
先代
中馬弘毅
衆議院地方行政委員長
1993年 - 1995年
次代
川崎二郎
党職
先代
結党
太陽党政務調査会長
初代:1996年 - 1998年
次代
民政党に合流



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