国民精神文化研究所の設立とは? わかりやすく解説

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国民精神文化研究所の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「国民精神文化研究所の設立」の解説

1932年8月文部省国民精神文化研究所設立する。これは学生思想問題調査委員会多数派による答申受けたのである高等学府学者大方反対者であり、国民精神文化研究所仕事直接参加することを拒んだという。所長東大教授吉田熊次決まりかけるが本人断られ文部次官所長事務取扱兼ねる形で取りつくろう実際に学生部伊東延吉事業部長紀平正美中心となって運営する研究部長は当初欠員であり、のち吉田熊次が就く。専任所長には1934年5月社会教育局長であった関屋龍吉が就く。当時この人事は左遷評されたという。 研究部には、歴史科、国文学科哲学科教育科、法政科、経済科、思想科が各科置かれる研究成果出版講演会講習会などを通じて普及図られる出版物として、紀要国民精神文化研究』をメインに、パンフレット国民精神文化類輯』、機関誌国民精神文化研究所々報』などを発行する初期の『国民精神文化研究』には、河野省三論文我が上代国体観念のような国体観念国民精神闡明目的とする論文数多く掲載される研究部以上に重要なのは事業部である。これは学校教員思想対策転向学生を扱う。事業部教員研究科研究生指導科に分かれる教員研究科師範学校教員思想再教育目的とするものである。これは後に中等学校教員対象にする。研究員募集通牒には、国体観念国民精神に関する根本的研究を積まさせて思想上の指導訓育尽力させる、とある。第1期研究員修了後の所感は「特に知識的よりも信念的には一層国体観、人生観深められた」「左右思想への批判国体観念日本精神対す明確な信念得た」などの感想圧倒的に多い。研究員たち学校教師として帰任した後、生徒思想善導中心となり、また地域講演会講習会講師として引っ張りだこになり、国体観念熱心に鼓吹していく。 研究生指導科では、思想上の理由退学した学生生徒指導矯正を図る。いわゆる転向促進である。指導方針は「時代思想批判し日本精神闡明ならしむるを主眼とす。まず過去生活態度対す反省マルクス主義理論的批判努力せしめ、ついで我が国体・国民精神についての研究をなさしめ、もって日本人としての確固たる生活原理樹立せしむるよう指導をなす」とされる入所者に指導矯正繰りかえし入所者が我が国体・国民精神真髄体得し日本人としての自覚強固にして、日本思想界の刷新のため力を尽くし皇国報いんとする念願を持つに至らしめたという。 国民精神文化研究所中心人物である伊東延吉1933年6月同所機関誌に「思想問題国民精神文化研究所」と題して、「我国体永久不変であり、永遠に栄え皇位真に万世一系である。この真我把握し、この国体体認する。そこより我国の学問発展し、我国の教育建設せられる」という認識示し欧米流の分析実証理論排して全的綜合内面的把握人格的証悟実体把握」なるものが必要であると主張する。そして、かつて学生思想問題調査委員会河合蝋山示した異見否定する

※この「国民精神文化研究所の設立」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「国民精神文化研究所の設立」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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