国民社会主義とその言語
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「ビョルン・ヘッケ」の記事における「国民社会主義とその言語」の解説
2015年秋のエアフルト宣言に際して、ヘッケは当時のドイツ社会民主党党首ジグマール・ガブリエルを裏切り者、根無し草と呼んだ。ヘッケはドイツには数千年に及ぶ過去の歴史があるだけでなく、数千年に及ぶ未来が待ち受けていることを指摘した。1871年から1914年までのドイツ帝国時代をドイツ民族において最も幸福な時代だったと見なした。このような発言はドイツ帝国を称揚しながら、国民社会主義に関する言葉を用いて歴史回顧することで、タブーを破壊することを意図していた。歴史学者マイク・タンドラーによると、問題視され使われなくなった単語を、再び語られるようにするためのレトリカルな手法であると見なした。露骨な言葉を避けながら、自分は言葉を選んで発言をしているので、国民社会主義に関連する言葉を使っているという批判は、単なる憶測に過ぎないとヘッケは反発した。事実、千年王国や民族の裏切り者というヒトラーの使ったよく知られたナチスの言語とは異なっても、それを思い浮かべることになるように、ヘッケは意図的に発言していたのである。 2015年10月14日、ザクセン=アンハルト州にあるマグデブルク大聖堂を前にして、「オットー大帝に拝謁するためにここに来たのだ」とヘッケは叫んだ。神聖ローマ帝国初代皇帝であったオットー大帝はこのマグデブルク大聖堂に葬られている。ヘッケの発言は、955年のレヒフェルトの戦いでオットー大帝指揮下の東フランク軍が騎馬民族ウゴル系マジャル人(ハンガリー人)を撃退したことを思い出させるためのメッセージだった。オットー大帝は全ドイツ民族を率いて、異民族の侵入からドイツを守り、西欧を救ったのであった。さらに、この場において、この防衛戦争と難民収容のために学校を短期間明け渡した措置をヘッケは比較したのである。歴史学者マイク・タンドラーによると、ヘッケの発言は歴史的コンテクストに上手く合致するようになっていたのである。ヘッケの不遜な議論は戦争とテロリズムを前にして恐れおののく人間に向けて、欧州の危機的状況と類推しながら、力による防衛を正当化し、権威主義的指導体制への羨望を語っている。オットー大帝の歴史的功績を称賛することで、国民社会主義体制とその暴力支配の後に生じたドイツ人追放という事実を示すことでドイツを免罪しようとする右翼の論理から決別することをヘッケは意図している。 2015年10月17日、ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州の大都市ケルンの市長選挙に際して、有力候補のヘンリエッテ・レーカーが1人の男によって刺されて重傷をおった。その後、ヘンリエッテ・レーカーはケルン市長に当選している。襲撃事件翌日の2015年10月18日、ヘッケは憎悪、脅迫をテーマにしたテレビ討論番組に呼ばれ出演した。その番組でヘッケはドイツの国旗を持ちながら登場し、ドイツの既成政党は滅茶苦茶であり、ドイツのための選択肢 (AfD)は民の声を聴かなければならないと語った。その後、ヘッケを有名にした演説がテューリンゲン州エアハルトでおこなわれた。ヘッケは以下のように語った。 私は志を共にする者たちを見ています。未来を切り開く人民を見ています。私たちが人民なのです。エアフルトの愛する皆さん、あなた方は保守的な愚民ではありません。エアフルトは美しい!エアフルトは美しいドイツなのです。そして、美しいドイツは存在し続けるべきなのです。エアフルトの地元言葉を語る少数のトルコ人少年がいます。しかし、ベルリンではドイツの少年は少数派なのです。愛する皆さん、我々は忘れてはいけません。シリアの地に住んでいたシリア人たちが私たちのところに来ています。アフガニスタンの地に住んでいたアフガン人たちが、今私たちのところに来ています。セネガルの地に住んでいたセネガル人たちが、今私たちのところに来ています。我々のドイツを失ってしまうと、もはやこの郷土も失ってしまう。テューリンゲン州!ドイツ!3千年のヨーロッパ。1千年のドイツ!悪夢が我が郷土を覆うとしている。残念ながら、特に金髪の女性にとって、移民、難民たちはますます危険な存在になっています。そして、自分たちの郷土を愛している皆さん!これは耐えがたい状況なのです。 このヘッケ発言に明確なエスノセントリズムなレトリックがあると社会学者フェリックス・クナッパーツブッシュは見ている。押し寄せてくる他国民という表現には、とりわけ、国家のアイデンティティと安全が脅かされているという意味が現れており、ブロンド女性たちという表現を用いることで聴く者には性的暴力が見えてくる。3千年のヨーロッパ、1千年のドイツという言いことで、守るべき郷土は根源的な存在になっている。ヘッケはドイツ人を血統共同体と表現しており、その共同体を異民族から守るために、正当防衛という手段を当然のこととしている。この社会を厳格な形で区分し、しかるべき抵抗運動を促している。それゆえ、このような論理は差別的直接行動を呼び込み、強めていくことになってしまう。討論番組において厳しい批判に直面しながらも、民族概念を中心に置く論理を民衆に立脚させることで、ヘッケは上首尾な結果を得たのである。平等な権利を有する民衆という姿が強調されながら、民族概念が強調されていた。番組冒頭でおこなったドイツ国旗への忠誠がそこで利用されたのである。 テレビ討論において、千年王国としてのドイツを守ることをヘッケは強調した。ドイツは移民を受け入れることで、社会的爆弾を抱えてしまった。ブロンドのドイツ女性にとって、レイプされる危険性が増大しているというヘッケの発言は検証される価値もないものとされ、ジャーナリストのアンニャ・レシュケだけがこの見解に異議を唱えた。ヘッケのドイツ国旗を持った登場は肯定的雰囲気を醸し出すことになり、ヘッケのデマゴギーを成功させてしまった。黒-赤-金のドイツ国旗が共和制に起源を持ち、ワイマール共和国における社会民主主義勢力によって使われていたことを、この討論のゲストであったハイコ・マース連邦法相は指摘しなかった ジャーナリストでテレビ番組司会者でもあるゲオルク・レストレは、ヘッケの言い回しにゲッペルスのトレモロ話法と類似していることを指摘した。ARDの雑誌『モニター』は映像において、ヘッケの発言とベルリン・スポーツ宮殿でのゲッペルスの総力戦演説の一部分を並べて類似点を示した。他の論者たちも発言に関する比較をおこなった。2017年1月のドレスデンでのヘッケ演説の後で、メディアによって、ゲッペルスとの比較がおこなわれた。ドイツのための選択肢から離党したフランチスカ・シュライバーによる2次資料によると、クビチェックと共にヘッケはゲッペルス演説を分析した上に、それを改変した形で取り入れようとしていた。ヘッケとドイツのための選択肢 (AfD)内の極右グループは国民社会主義文献や演説、資料から、1930年代に政治的勝利を導いた文章表現を探していたのである。 2018年に開催されたキフホイザー集会において、「ドイツのための選択肢 (AfD)だけがドイツにある唯一の国民政党である」とヘッケは約1千人の聴衆を前に語った。1899年に「ハンマーと金敷のどちらを欲するのか」と発言したドイツ帝国宰相 ベルンハルト・フォン・ビューローのレトリックを借りて、「羊か狼のどちらかを選ぶとするならば、羊を選ぶ」とヘッケは発言した。「今や、狼の時が来ている。敵対者がドイツのための選択肢 (AfD)による運動を妨害するなら、1千人の愛国者が反対でも阻止するために現れるだろう」とも語った。この語りは、国民社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP)の政治路線に関するゲッペルス発言と比較できるようなものであった。ゲッペルスが創刊したベルリンの新聞『デア・アングリフ』の1928年4月30日付け紙面には、「我々は友人、中立者として来ているのではない。ここに敵対者として来ている。狼が羊の群れを襲うように、来ているのだ」という発言が掲載されていた。ジャーナリストのマルク・レーリヒによると、批判され易いナチスの言語からの直接引用をヘッケは意識して避けている。しかしながら、ヘッケは国家主義者として考え方をメタファーにして、ドイツのための選択肢 (AfD)の攻撃的政治路線を押し出している。キフホイザー集会において、居合わせた警官の目の前で、ヘッケの演説を聴く聴衆の一部が興奮してジャーナリストに体当たりした。
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