陸軍入隊 - 南方戦局とは? わかりやすく解説

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陸軍入隊 - 南方戦局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:00 UTC 版)

浜本正勝」の記事における「陸軍入隊 - 南方戦局」の解説

大東亜戦争開戦同時に第一戦戦線に出る」という条件陸軍省兵務課に志願届を提出し昭和17年1942年7月陸軍少佐待遇マニラ着任した。まもなくフィリピン派遣軍第137隊に配属となり、捕虜収容所所長着任。更に南方特別留学生招聘事業総務部政務班として日本事情について講義行った昭和18年1943年6月東條英機内閣総理大臣南方軍地域訪問した際に、赤松貞雄大佐浜本の下に来て総理会いたいというか名刺をくれ」と言い初め東條面会し東條にすっかり惚れ込まれ浜本は、総理専属通訳として採用され総理秘書官内閣嘱託となる。以後東條個人的な政策ブレーンとして「南守北進論」など幾多政策立案裏方として関わっていく。同年11月東京開催され大東亜会議においては主席通訳務め英訳をこなすことのできる唯一の大東亜省外交官として、フィリピン大日本帝国双方政府要人の厚い信頼受けた。更に、会議後13日行われた東條スバス・チャンドラ・ボース会談でも通訳担当大東亜会議直前10月14日にはフィリピン共和国独立宣言が行われ、ラウレル大統領就任すると、共和国政府指名され大統領特別補佐官に就任ラウレルフィリピン大日本帝国傀儡政権と言われる事を恐れ日本人顧問浜本しか起用しなかった。ラウレルからは絶対的な信頼得てマラカニアン宮殿にて二人で食事共にするであった以後大東亜共栄圏内におけるフィリピン独立運動の実質化のために尽力した昭和20年1945年)に南洋諸島戦局悪化硫黄島守備隊全滅し3月ラウレル日本亡命する日本政府浜本にも「ラウレル大統領同行すべし」という特別命令を出したが、浜本はこれを拒否してバギオ残留タイ国総理大臣クアン・アパイウォン私邸にて、駐タイ大使山本熊一と共に第二回大東亜会議開こうとしたが果たせなかった。フィリピン防衛司令官山下奉文大将とともにマニラ捨て、最も悲惨と言われルソン島激戦地放浪し北部山岳地帯逃れたが、山中生活における極貧のため終戦時には赤痢栄養失調起こしていた。

※この「陸軍入隊 - 南方戦局」の解説は、「浜本正勝」の解説の一部です。
「陸軍入隊 - 南方戦局」を含む「浜本正勝」の記事については、「浜本正勝」の概要を参照ください。

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