陸軍出仕とは? わかりやすく解説

陸軍出仕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 04:48 UTC 版)

小島好問」の記事における「陸軍出仕」の解説

1877年明治10年西南戦争士官見習として参戦し3月25日開戦4月近衛歩兵第1連隊第1大隊第四中少尉試補となったが、4月6日負傷6月6日復帰し8月6日近衛集成隊 第2中隊配属され1879年明治12年3月中旬フランス留学しベルサイユ第1工兵連隊フォンテーヌブロー砲工実施学校フランス語版)で学び1882年明治15年1月帰国した帰国後、陸軍士官学校参謀本部勤務し1883年明治16年2月28日工兵大尉進んだ。しかし、この頃から陸軍ドイツ式模範とするようになり、また所属する月曜会山県閥と対立したため、1888年明治21年11月参謀本部第2局第1課、工兵第6大隊第3中隊長として熊本左遷された。1891年明治24年9月9日工兵第2方面署員となり、由良要塞構築1893年明治26年12月18日工兵方面本署転じ帰京した日清戦争勃発すると、1894年明治27年10月11日第1軍兵站電信提理を命じられ12月2日工兵少佐1895年明治28年帰国し11月8日工兵会議議員兼任した戦功により功四級金鵄勲章単光旭日章受章した 1896年明治29年4月1日工兵第3方面支署長、1897年明治30年8月7日工兵第1方面横須賀支署長となり、芸予要塞東京湾要塞等の構築携わった1898年明治31年10月1日工兵中佐1899年明治32年8月12日築城本部配属され帰京した日露関係緊迫すると、1901年明治34年11月18日要塞戦用器調査委員として、ロシア偵察傍らドイツクルップ社フランスサン=シャモン社で砲塔発注内容詰め1902年明治35年9月帰国した

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陸軍出仕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 04:56 UTC 版)

小鷹狩元凱」の記事における「陸軍出仕」の解説

明治6年1873年2月25日陸軍歩兵少尉として東京鎮台出仕命じられ4月11日上京し徴兵事務携わった第五師団長野道貫信任得て明治8年1875年8月10日中尉明治12年1879年3月28日大尉に昇った。 しかし、薩長藩閥による旧広島藩士の冷遇に不満を募らせ明治14年1881年明治十四年の政変感化され藤田高之野村文夫米田精、呉文聡等と下野決意し12月22日退役麹町区隼町住居売却し借家生活に入った

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