極貧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:40 UTC 版)
極貧家庭で生まれ育ち、以下のような幼少時代の貧乏話を頻繁にネタにしている。 幼少のころ家で寝ていたら、家の中に食べるものが全く無くて腹を空かせたネズミに左耳をかじられてしまった。そのために左耳たぶが欠けている。これに関して黒田本人は「リアルドラえもんになるところだった」と言い張っている。 幼い頃にいも類やカボチャばかり食べさせられたため、今ではそれらをあまり食べなくなった。 黒田の育った家は文化住宅の2階 で、6畳と4畳半の二間。端にあるトイレは汲み取り式で、夏になるとアンモニア臭がひどく呼吸ができないほど で、用を足していた母が倒れることがあったという。そのため、黒田にとっての贅沢は「奇麗なトイレでゆっくりできる」ことである。 子供のころは超合金の写ったチラシを枝に付けて「超合金ごっこ」で遊んでいた。大人になった今では、子供のころに出来なかった分、超合金の収集を趣味としている。 小学校低学年のころ絵画教室に通っていたが月謝を滞納していた。そのせいで絵画の先生に差別的に扱われていたことが未だにトラウマとして残っている。 正月近所の「お好み焼屋のおっちゃん」に、お年玉500円を貰ったことがある。黒田少年が冬空の下、短パン姿でこぶしを握り締め、そこから血がポタポタ滴って足元を寂しげに濡らしているのを「おっちゃん」が発見。あまりにも不憫だと思い、衝動的に渡したという。 天かすをタダで譲ってもらうため、台風通過のさなか、店の前に2時間以上立っていたことがある。体型に不釣り合いな父親のランニングシャツのみのいで立ち(パンツを履いていない)だったので、遠目からは女児のスカートのように映っていた。長時間暴風雨に晒されビショビショになっていたため、下腹部が透けて見えていたという。それを見て良心の呵責を感じた店主がやむを得ず大量の天かすを渡したという。 小学生高学年の頃、パンのクズを集めてパンを拵えたことがある。相方のあいはらと初対面時にそのエピソード、工程を得意げに語った。あいはらにとって、人生の残酷さを生まれて初めて悟った瞬間であったという。 修学旅行の旅費が払えなかったため、当初は旅行に行く予定はなかったのだが、クラスメイトによるカンパのおかげで修学旅行に行けることとなった。黒田はこの旅行をクラスメイトへの感謝も相俟って心の底から楽しんだ。 玉子焼き用のフライパンを見て、その小ささに自分よりも貧乏な人がいるものだと喜んでいたが、最近まで玉子焼き用だということを知らなかった。 極貧過去のプライドと「黒田有物語」を完成させるため、相方・あいはら雅一より先に人生を閉じる場合、遺影や戒名、遺品、財産処理に至るまで、気心知れた唯一信頼できるあいはらに一任することを希望しているという。あいはらはすでに“一番のボケどころ”として「無い無いづくし」という戒名を考え寺側と調整している。 2005年10月20日、自宅が空き巣の被害に遭うが、貯金箱がアダルトビデオの山に隠れていたためビール券のみの被害で済んだ。しかし、スポーツ新聞の報道で「黒田、空き巣」(横に小さく「被害」)と掲載されたことから貧乏キャラと相まってファンや芸人仲間から「黒田が空き巣に入った」と(ほとんど冗談である)勘違いされた。
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