極貧撲滅運動「ATD第四世界」
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「ジュヌヴィエーヴ・ド・ゴール=アントニオーズ」の記事における「極貧撲滅運動「ATD第四世界」」の解説
ジュヌヴィエーヴ・ド・ゴールの方向を決定づけたのはジョゼフ・ウレザンスキ神父との出会いであった。彼はソワソンの司教ピエール・ドゥイヤールによりパリ郊外ノワジー=ル=グラン(イル=ド=フランス地域圏セーヌ=サン=ドニ県)のビドンヴィル(掘立小屋のバラック集落)に派遣され、住民とともに極貧撲滅を目指す団体「ATD第四世界」を立ち上げたが、協会設立のための行政手続きなどにおいて多くの問題に直面していた。彼女は初めてこの「ホームレス収容所」を訪れたとき、その惨状にショックを受け、「もう一つの収容所、あのラーフェンスブリュック強制収容所のことを思い出した。あの風景、あれは生から切り離された場所だった」と語っている。 ジュヌヴィエーヴは「ATD第四世界」の活動を支援し、1964年に会長に就任した。カトリック作家フランソワ・モーリアックなど知識人や政治家の支援を得、アメリカ合衆国での支部設立、貧困研究国際委員会の設置などにより、ATD第四世界は国際運動に発展していった。
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