ロレート広場とは? わかりやすく解説

ロレート広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 21:47 UTC 版)

Piazzale Loreto

ロレート広場Piazzale Loreto)は、ミラノにある広場で、街の道路網において重要な地点となっている。特筆すべきは、2つの悲惨な第二次世界大戦での事件、1944年の一パルチザンと反ファシスト15人のロレート広場での大虐殺と、1945年ベニート・ムッソリーニクラーラ・ペタッチおよび他の社会共和国の代表者達の遺体の見せしめがあった事である。広場にはミラノ地下鉄同名の駅がある。

現在の広場付近には、ボッロメーオ家が優勢だった時代にはロレートのマドンナに捧げられた聖域が有り、グレーコとその他付近の住民がしょっちゅう来ていた。その後ここは、聖域が破壊され、そのうちに「ロンド・ディ・ロレート」(Rondò di Loreto)という名前となり、交通の要所としてミラノ市に組み込まれた。そして「ロレート広場」(Piazzale Loreto)と改称され今に至る。2005年5月、ミラノ市文化評議員のステーファノ・ゼッキはこの広場を「コンコルディア広場」と改名する提案を出した。

関連項目


ロレート広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:09 UTC 版)

ベニート・ムッソリーニの死」の記事における「ロレート広場」の解説

1945年4月28日の夜、ムッソリーニとペタッチの遺体は、処刑された他のファシスト党幹部遺体とともにバン積み込まれミラノ向かって南へ運ばれた。4月29日未明バンミラノ到着しムッソリーニらの遺体ミラノ中央駅に近いロレート広場の地面投げ捨てられた。ロレート広場では1944年8月パルチザン襲撃および連合軍空爆への報復として15人のパルチザン銃殺された後、その遺体見せしめ放置されたという経緯があり、パルチザンがこの広場選んだのはその意趣返しだった。ムッソリーニ15人のパルチザン処刑され当時、「ロレート広場で流れた血のために、我々は高いつけを払うことになるだろう」と語っていたと伝えられている。 ムッソリーニらの遺体積み重なった状態で放置された。4月29日午前9時を回る頃には、おびただしい数の群衆広場詰め掛けていた。群衆遺体野菜をぶつけ、唾を吐きかけ、尿をかけ、銃撃し、足蹴にした。ムッソリーニ顔面殴打され変形した。あるアメリカ人目撃者は、これらの群衆評して邪悪下劣無秩序」であると述べたその後しばらくしてムッソリーニらの遺体スタンダード・オイルガソリンスタンド建設途中)の骨組みまで持ち上げられ食肉用フック引っ掛けられて、逆さ吊りにされた。逆さ吊りというのは、吊るされ人物の汚名」を強調するために北イタリアでは中世ら行われてきた方法であった。ただし実際にムッソリーニらを逆さ吊りにした人々によると、これは単に遺体群衆から保護するための処置であったという。ロレート広場での一連の出来事記録した映像は、彼らの主張裏付けているように見える。

※この「ロレート広場」の解説は、「ベニート・ムッソリーニの死」の解説の一部です。
「ロレート広場」を含む「ベニート・ムッソリーニの死」の記事については、「ベニート・ムッソリーニの死」の概要を参照ください。

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