アラスカ準州
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アラスカ準州(アラスカじゅんしゅう、英: Territory of Alaska)は、1912年から1959年まで存在した、アメリカ合衆国の自治的領域である。この準州がアラスカ州になった。
- ^ Nichols, Jeannette Paddock. Alaska, (New York: Russell & Russell INC, 1963), p165.
- ^ Gislason, Eric. “The 49th State: A Brief History of Alaska Statehood (1867–1959)”. American Studies at the University of Virginia. 2005年8月31日閲覧。
- ^ C.V. Glines, "America's War in the Aleutians," Aviation History, Vol.12(Nov. 2001), 46–51.
- ^ Alaska History and Cultural Studies - Governing Alaska - Campaign for Statehood
- 1 アラスカ準州とは
- 2 アラスカ準州の概要
- 3 歴史
- 4 関連項目
アラスカ準州
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20世紀を迎える頃、漁業はアリューシャン列島に足がかりを得た。タラとニシンの塩漬け加工が行われ、鮭の製缶工場もできた。もうひとつの伝統的な職業、捕鯨は乱獲のことが全く考えられないまま続けられた。そのため鯨油を狙われたホッキョククジラは一時絶滅の危機に瀕したが、現在では商業捕鯨が下火になったために個体数に影響を与えない程度なら先住民が捕獲できるほどまでに回復した。アリューシャン開発から間もなく、アレウト族は生活必需品であるアザラシとラッコの毛皮の枯渇のために深刻な問題に直面するようになった。彼らは食料としての目的以外にも、毛皮をボートの船底として使っていたので漁ができなくなってしまったのである。アメリカ人はアラスカの奥地や北極圏にまで立ち入り、クマの毛皮や魚、その他先住民が必要な獲物を持ち去っていった。 アラスカ購入以来カナダさらにはイギリスとの間で論争が続いてきたアラスカ国境問題について、1903年に調停が成立し、互いの求めていた国境の中間的な線が引かれて決着した。 1912年、連邦議会がSecond Organic Actを通過させたことで、アラスカはアラスカ準州となった。1916年には人口が5万8000人になっていた。連邦議員James Wickershamはアラスカの州への格上げに関する最初の案を提出したが、当のアラスカの住民の関心を引かなかったために失敗した。1923年のハーディング大統領のアラスカ訪問の時でさえ、州への格上げが関心を呼ぶことはなかった。アラスカはSecond Organic Actによって四つの地域に分割されていた。州都ジュノーを抱え、最も人口が多い地域は他の三つの地域から分離して州になれないかと考えていた。52もの連邦機関があるこの地域にとって、統治運営の方法は大問題だった。 1920年ジョーンズ法により、星条旗を掲げる船舶は合衆国で建造し、合衆国民が所有し、合衆国の法律の下で文書を作成することが義務付けられた。そのためアラスカと外部とを結ぶ物流はアメリカの運送会社がシアトルで一手に引き受けることとなり、アラスカはシアトルのあるワシントン州への依存を強いられた。しかし連邦最高裁の下した判断は、アラスカは準州に過ぎないから憲法に定めるところの「州は他の州の商行為を支配すべきではない」との条項は適用されないというものだった。この状況を利用してシアトルの海運会社は船賃を吊り上げた。 大恐慌によってアラスカ経済の生命線である水産物と銅の価格は下落した。賃金は下がり就労者の数は半数以下になった。1935年、大統領フランクリン・ルーズベルトは農業地域に住む国民のための出直し案として、アラスカのマタヌスカ=スシトナ谷に移住して農業で自給自足させればいいと考えた。アラスカが自分たちの州と気候が似ていて住み易いと考えた、ミシガン州、ウィスコンシン州、ミネソタ州といった北部の州からの移住者が多くやってきた。コンゴ向上協会連合は大統領にアフリカ系アメリカ人400人をアラスカに移住させて欲しいと頼んだが、北部の州からの移住者のみが開拓者にふさわしいという偏見によって訴えは拒絶された。 アラスカの探検と移民は飛行機の発明なしにはありえなかっただろう。飛行機によって膨大な数の移住者が州の中央部に住めるようになり、人とモノの迅速な移動を可能にした。しかし、アラスカ特有の悪天候のためと人口あたりのパイロットの数が多いことから、州全域に1700以上もの航空機事故発生地が散在している。また、第二次世界大戦と冷戦中の軍の航空訓練生の事故も数多く記録されている。
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