アラスカ準州とは? わかりやすく解説

アラスカ準州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 01:36 UTC 版)

アラスカ準州
Territory of Alaska (英語)
1912年 - 1959年
星条旗 (1926年以降の旗)

アラスカ準州の地図
公用語 英語
首都 ジュノー
元首等
1912年 - 1913年 ウォルター・クラーク英語版
1958年 - 1959年 ワイノ・ヘンドリクソン英語版
変遷
アラスカ地区から移行 1912年8月24日
アラスカ州に昇格 1959年1月3日
現在 アメリカ合衆国

アラスカ準州(アラスカじゅんしゅう、: Territory of Alaska)は、1912年から1959年まで存在した、アメリカ合衆国の自治的領域である。この準州アラスカ州になった。

歴史

1899年の刑法の成立、その他の中でも酒税が連邦議会におけるアラスカ人代表の叫びを高め[1]、アラスカがアメリカ合衆国の自治的領域になることになった1912年8月24日にその議論がやっと終わった。

1912年の「第二次基本法」でアラスカ地区(District of Alaska)は「アラスカ準州」に名前を変えた[2]1916年までにその人口は58,000人に達した。連邦議会に派遣されていたアラスカの代議員ジェイムズ・ウィッカーシャムはアラスカを州に昇格させる最初の法案を提出したが、アラスカの住民の関心を引かなかったために失敗した。1923年ウォレン・ハーディング大統領がアラスカを訪れたことですら州昇格に関する広い関心を生まなかった。第二次基本法の規定では、アラスカは四つの地域に分割されていた。州都ジュノーを抱える最も人口が多い地域は、他の三つの地域から分離して州になれるのではないかと考えていた。52もの連邦機関があるこの地域にとって、統治運営の方法は大問題だった。

1920年ジョーンズ法(商船法)により、星条旗を掲げる船舶は合衆国で建造し、合衆国民が所有し、合衆国の法律の下で文書を作成(登録)することが義務付けられた。そのためアラスカと外部とを結ぶ物流は、外へ出す前にアメリカの船舶でシアトルまで運ばれる必要があり、アラスカはシアトルのあるワシントン州への依存を強いられた。合衆国最高裁判所の下した判断は、アラスカは準州に過ぎないから憲法に定めるところの「州は他の州の商行為を支配すべきではない」との条項は適用されないというものだった。この状況を利用してシアトルの海運会社は船賃を吊り上げた。

世界恐慌によって当時のアラスカ経済の生命線である水産物と銅の価格は下落した。賃金は下がり就労者の数は半数以下になった。1935年、大統領フランクリン・ルーズベルトは農業地域に住む国民のための出直し案として、アラスカのマタヌスカ=スシトナ渓谷に移住して農業で自給自足させればいいと考えた。アラスカが自分たちの州と気候が似ていて開拓者生活に耐えられると考えた、ミシガン州ウィスコンシン州ミネソタ州といった北部の州からの移住者が多くやってきた。コンゴ生活向上協会連合は、準州なら十分な参政権を与えられると言って、大統領にアフリカ系アメリカ人400人をアラスカに移住させて欲しいと頼んだが、人種的偏見と北部州からの移住者のみが適応できる開拓者になるというに思い込みによって訴えは拒絶された。

アラスカの探検と移民は飛行機の発展なしにはありえなかっただろう。飛行機によって移住者の州内陸への流入を可能にし、州内での人とモノの迅速な移動を可能にした。しかし、アラスカ特有の悪天候のためと人口あたりのパイロットの数が多いことから、州全域に1700以上もの航空機事故発生地が散在している。また、多くの事故は第二次世界大戦冷戦中におけるアラスカの軍事力強化にその原因を辿ることができる。

第二次世界大戦におけるアラスカの参加は非常な重要性があった。1942年6月から1943年8月まで、アリューシャン方面の戦い日本軍アリューシャン列島を伝って合衆国を攻撃しようとした。1812年米英戦争以来、合衆国の土を踏んだ外国の軍隊は2度目であり、1度目は1941年12月のグァム島であり、やはり日本軍によってだった。日本軍は最終的に34,000名の軍隊によってアリューシャン列島から撃退された[3]

最後はアメリカ合衆国政府がこの地の大きな可能性を認識するようになり、1959年1月3日、アラスカは合衆国49番目に州に昇格した。同時に州昇格を目指しており、共和党支持を考えていたハワイ州とは対照的に、アラスカが連邦議会に民主党員を選ぶのではないかという全国共和党党員の心配のために多少の遅れがあった[4]。近年、これらの予測は両州とも反対の結果に変わって来た。

脚注

  1. ^ Nichols, Jeannette Paddock. Alaska, (New York: Russell & Russell INC, 1963), p165.
  2. ^ Gislason, Eric. “The 49th State: A Brief History of Alaska Statehood (1867–1959)”. American Studies at the University of Virginia. 2005年8月31日閲覧。
  3. ^ C.V. Glines, "America's War in the Aleutians," Aviation History, Vol.12(Nov. 2001), 46–51.
  4. ^ Alaska History and Cultural Studies - Governing Alaska - Campaign for Statehood

関連項目


アラスカ準州

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アラスカの歴史」の記事における「アラスカ準州」の解説

20世紀迎える頃、漁業アリューシャン列島足がかり得たタラニシン塩漬け加工が行われ、製缶工場もできた。もうひとつ伝統的な職業捕鯨乱獲のことが全く考えられないまま続けられた。そのため鯨油狙われホッキョククジラ一時絶滅危機瀕したが、現在では商業捕鯨下火になったために個体数影響与えない程度なら先住民捕獲できるほどまでに回復したアリューシャン開発から間もなくアレウト族生活必需品であるアザラシラッコ毛皮枯渇のために深刻な問題直面するようになった。彼らは食料として目的以外にも、毛皮ボート船底として使っていたので漁ができなくなってしまったのであるアメリカ人アラスカ奥地北極圏にまで立ち入りクマ毛皮、その他先住民必要な獲物持ち去っていった。 アラスカ購入以来カナダさらにはイギリスとの間で論争続いてきたアラスカ国境問題について、1903年調停成立し互い求めていた国境中間的な線が引かれ決着した1912年連邦議会Second Organic Act通過させたことで、アラスカはアラスカ準州となった1916年には人口5万8000になっていた。連邦議員James Wickershamはアラスカの州への格上げに関する最初の案を提出したが、当のアラスカ住民関心を引かなかったために失敗した1923年ハーディング大統領アラスカ訪問の時でさえ、州への格上げ関心を呼ぶことはなかった。アラスカSecond Organic Actによって四つ地域分割されていた。州都ジュノー抱え、最も人口が多い地域は他の三つの地域から分離して州になれないかと考えていた。52もの連邦機関があるこの地域にとって、統治運営方法大問題だった。 1920年ジョーンズ法により、星条旗掲げ船舶合衆国建造し合衆国民が所有し合衆国法律の下で文書作成することが義務付けられた。そのためアラスカ外部とを結ぶ物流アメリカ運送会社シアトル一手に引き受けることとなり、アラスカシアトルのあるワシントン州への依存強いられた。しかし連邦最高裁下した判断は、アラスカ準州に過ぎないから憲法に定めるところの「州は他の州商行為支配すべきではない」との条項適用されないというものだった。この状況利用してシアトル海運会社船賃吊り上げた。 大恐慌によってアラスカ経済生命線である水産物価格下落した賃金は下がり就労者の数は半数以下になった1935年大統領フランクリン・ルーズベルト農業地域に住む国民のための出直し案として、アラスカのマタヌスカ=スシトナ谷に移住して農業自給自足させればいいと考えたアラスカ自分たちの州と気候似ていて住み易い考えたミシガン州ウィスコンシン州ミネソタ州といった北部の州からの移住者多くやってきた。コンゴ向上協会連合大統領アフリカ系アメリカ人400人をアラスカ移住させて欲しいと頼んだが、北部の州からの移住者のみが開拓者にふさわしいという偏見によって訴え拒絶された。 アラスカの探検移民飛行機発明なしにはありえなかっただろう。飛行機によって膨大な数の移住者が州の中央部住めるようになり、人とモノ迅速な移動可能にした。しかし、アラスカ特有の悪天候のためと人口あたりのパイロット数が多いことから、州全域1700上もの航空機事故発生地散在している。また、第二次世界大戦冷戦中の軍の航空訓練生事故数多く記録されている。

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