アラスカの金鉱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 08:29 UTC 版)
クロンダイクでの採掘で一山当てられなかった者の多くは、アラスカ地区にも金はないかを探しに、アラスカ地区へと戻った。まず、アラスカ南東部のジュノー(現在のアラスカ州の州都)で最初の試掘が行われた。各地で試掘が行われる中で、1899年にアラスカ西部のノームで金鉱が見つかった。その後も試掘は行われ、1902年7月には金の試掘を行っていたフェリックス・ペドロによって、アラスカ中部に大きな金鉱(タナナ採鉱地区)が見つけられた。間もなくフェリックス・ペドロが前哨基地として使用していた場所には町ができ、この入植地はアメリカ合衆国の上院議員だった人物にちなんでフェアバンクス(Fairbanks)と名付けられた。フェアバンクスはユーコン川の流域だが、ユーコン川の支流の中にはアラスカ山脈方向から流れ降ってくる河川も存在し、さらに、山脈の反対側に流れ降るユーコン川とは別の河川も存在している。この川筋を利用したは大いに活用された。最終的にタナナ採鉱地区は金の一大生産地となる。このため、フェアバンクスから、アラスカ南部に存在する港町のバルディーズなどへは、先述の川筋にほぼ平行するような道路が建設された。またアラスカは今日でもまだアメリカ合衆国本土の48州と鉄道で結ばれていないにもかかわらず、1902年にはアラスカ鉄道(en:Alaska Railroad)が着工した。なお、すでにアラスカ準州になってからの話だが、1914年までにはフェアバンクスからアラスカ山脈を横断してアンカレッジを経由してアラスカ南部のキナイ半島(en:Kenai Peninsula)のスワードまでが鉄道で結ばれた。 この他、1907年にはルビー・クリークでも金鉱が見つかり、1910年にはさらに大規模に採鉱が行われ、ルビー(en:Ruby, Alaska)の町が形成された。1911年には元々テント村であったルビーの町は河港都市へ成長し、劇場、店舗、カフェを持つに至った。このように金鉱が見つかると人が集まってくるので、実際に採鉱を行う以外にも様々なビジネスが可能であった。なお、これもすでにアラスカ準州になってからの話だが、1917年までのルビーの町の絶頂期には、ルビーの南の谷は87万5000ドルの価値の金を産出した。
※この「アラスカの金鉱」の解説は、「アラスカ地区」の解説の一部です。
「アラスカの金鉱」を含む「アラスカ地区」の記事については、「アラスカ地区」の概要を参照ください。
- アラスカの金鉱のページへのリンク