アラスカの購入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:50 UTC 版)
国務長官ウィリアム・スワードの教唆で、合衆国上院は1867年4月9日に720万ドル(2005年時点でインフレを考慮すると約9,075万ドル相当)でロシア帝国からロシア領アメリカを購入することを承認した。アメリカ国旗が同年10月18日(現在「アラスカの日」となっている)に掲げられた。所有権の変更と時を同じくして、当時の日付変更線が西に移動され、さらにアラスカはユリウス暦からグレゴリオ暦に改められた。そのため、1867年10月6日金曜日の次の日は1867年10月18日金曜日となった。日付変更線の移動によって2日続けて金曜日が来たことになる。 1867年10月18日の朝、USSオシピーがロシアの理事アレクセイ・ペストチョーロフとアメリカの理事ローウェル・H・ルソー将軍とを載せてシトカに到着した。その午後、250名のアメリカ兵、80名のロシア兵、ロシア・アメリカ会社の支配人ドミトリー・マクストフとその妻、および地元住民の集団が知事公舎(「バラノフ・キャッスルヒル」と呼ばれるようになったもの)前の国旗掲揚台に集合し、ロシア国旗が降ろされアメリカ合衆国国旗が掲揚されるのを見つめた。 それぞれの国旗のために2門の祝砲が撃たれ、それぞれの理事が短い挨拶をした。おそらくは指示を間違えたのだろうが、ロシア兵はその国旗を千切ってしまい、続いてそれを落とした。旗は漂い流れ、ロシア守備兵の捧げられた銃剣の一部に引っ掛かった。マクストフの妻はその光景を見て気絶したと言われている。 伝説によれば、アラスカの最初のアメリカ側管理人はポーランド人移民のヴワミエシュ・クシジャノフスキだったということである。しかし、「アンカレッジ・デイリーニューズ」ではこの主張を支持あるいは反証する決定的な情報を見つけることはできない。アラスカの買収は「スワードの愚行」あるいは「スワードの冷蔵庫」と言われ、当時の合衆国では評判が良くなかった。しかし後に金が発見されたことで、この買収が賢明だったことが分かった。アラスカは毎年3月の最終月曜日をスワードの日と呼んで購入を祝っている。
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