アラスカの探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:50 UTC 版)
アメリカ合衆国がアラスカを購入したとき、広大な地域はまだ探検隊が入ったことのない土地だった。1865年、ウエスタンユニオンがアラスカからベーリング海峡を抜けてアジアを結ぶ電信線を敷設することを決めた。ウエスタンユニオン測量隊に参加したロバート・ケニコットはその隊員を伴って、ユーコン川の岸にあるヌラトに達した。ケニコットは翌年死に、ウィリアム・H・ドールが科学的事項を担当した。ウエスタンユニオン遠征隊はこの地域の最初の科学的な調査を行い、ユーコン川の全域の地図が作られた。同しく1866年、大西洋海底通信線の敷設に成功し、アラスカ陸路の計画は中断された。ドールは何度もアラスカに戻り、地形的な記録と命名を行った。 ロシア・アメリカ会社の権益を継承したアラスカ商業会社(英語版)(ACC)も1890年代のアラスカ探検に寄与し、内陸の多くの川沿いに交易所を設けた。罠猟師や交易業者の小さな隊が内陸に入り、連邦政府はこの地域にほとんど投資をしなかったが、軍の士官達が時として独自に探検を行った。フレデリック・シュワトカ中尉とその一隊は4ヶ月の旅でカナダのリンドマン湖からユーコン川を下り、ベーリング海の河口近くにあるセントマイケルまで達した。1885年、ヘンリー・T・アレン中尉と他の4人はアラスカ湾を発ち、カッパー川を辿って山脈を横切り、タナナ川を下ってユーコン川に出、続いて陸路をカウンティ川とコユクク川まで進んだ。アレンはコユクク川を遡り、続いてユーコン川を下って戻り、海岸のウナラキートまで進み、最後にセントミカエルに行くことで、アラスカ内陸の1,500マイル (2400 km)を走破した。
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