アラスの和約
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アラスの和約(英: Treaty of Arras)
- アラスの和約 (1191年)
- アラスの和約 (1414年)
- アラスの和約 (1435年)
- アラスの和約 (1482年)
- アラスの和約 (1579年)
アラスの和約
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しかし、アラス同盟諸州はすぐにパルマ公との講和交渉を開始、1579年5月17日にはアラスの和約(英語版)を締結した。アラスの和約の主な内容は下記の通り。 スペイン王とアラス同盟の締結者はヘントの和約、永久勅令、ブリュッセル同盟を再確認する。 外国からの傭兵はスペインが招聘したか、スターテン・ヘネラールが招聘したかにかかわらず、ネーデルラントに駐留しない。 ラート・ファン・スターテ(英語版)の組織はカール5世時代のそれと同様にする。 ラート・ファン・スターテの構成員の3分の2は和約に参加する諸州によって選出される。 カール5世の治世で有効だった特権は回復される。 カール5世の治世以降に課された税金は廃止される。 信仰はカトリックのみが許可され、それ以外(カルヴァン派を含む)は禁止される。 和約に署名した州: エノー伯領(英語版) アルトワ伯領(英語版) リール、ドゥエー、オルシ(英語版)(フランドルのワロン地域(英語版)) カンブレー大司教領(フランス語版) 和約を支持したものの、署名しなかった州(後に和約に加入した): ナミュール伯領(英語版) ルクセンブルク伯領(英語版) リンブルク公領(英語版) パルマ公はこれらの「和解した」州を基地として、「反抗的」諸州(ユトレヒト同盟諸州)の再征服に乗り出した。
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