アラスカ探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:33 UTC 版)
「ティモシー・トレッドウェル」の記事における「アラスカ探検」の解説
トレッドウェルは、カトマイ国立公園沿岸域のハロ湾(英語版)に面した「ビッグ・グリーン」と地元で呼ばれる、イトランが生えた開けた場所にキャンプして初夏を過ごした。彼はこの場所を「ハイイログマの聖域」と呼んでいる。彼は観察対象の熊に非常に接近することで知られており、時には熊の身体に触れたり、小熊と遊ぶことすらあった。しかし、前述の自著において彼は、「いつも熊に注意して行動しており、この行為は動物とお互いの信頼と尊重を育むものである」と主張していた。また遭遇したクマを名付け、毎夏一貫して同じクマを観察することにより、「彼らとの永続的な関係を築いている」と主張した。これに対し、アメリカ地質調査所アラスカ科学センターの生態研究学者であるトム・スミスは、「トレッドウェルは クマとの距離、野生生物への嫌がらせ、自然のプロセスを妨害するという点で、あらゆる公園のルールを破っていた。彼の個人的な使命は公園のサービスと矛盾していた。彼は何度も警告を受けていた。」と証言をしている。またトレッドウェルの死に関して、「彼の死は悲劇だが、容易に想像できたことだ。」と戒めた。 2001年から、トレッドウェルはテレビ出演と環境団体活動による大々的なメディア露出によって著名となり、環境活動家として頻繁に公の場に姿を見せるようになった。彼は、熊についての学童教育を施すためにアメリカ合衆国中を訪問した。また、自身の体験を討論するためにディスカバリーチャンネル、レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン、デートラインNBC(英語版)に出演した。 そして、アラスカ半島における冒険を記した『Among Grizzlies: Living with Wild Bears in Alaska』を、20年来の同僚であったジュエル・パロヴァック(Jewel Palovak)との共著で出版している。また、トレッドウェルとパロヴァックは、熊の保護・生息地保全団体である『Grizzly People』を設立した。 熊を研究し、熊を育て、ロシアのカムチャッカで10年間熊と暮らした研究家のチャーリー・ラッセル(英語版)は、トレッドウェルと共同で仕事をしていたが、ラッセルはトレッドウェルがペッパースプレーや電気柵などの基本的な安全対策を怠っていたことを批判している。またトレッドウェルの死についてアラスカ州民の標準的な反応について、「他の人がそうであるように、ティモシーが13年間を熊を殺し他人を案内することに費やしたならば、アラスカにおいて彼は大きな賞賛と共に記憶に残っただろう」というコメントを残している。ラッセルは映画『グリズリーマン』についても批判的で、不正確だと述べ、もしパロヴァックが「本当に熊を保護していたのなら、熊に同情的な映画監督を探すべきだった」と述べている。 Grizzly Peopleによると、トレッドウェルの死後直ぐに5頭の熊が密猟されたが、彼がカトマイにいる間には一度もそういう事例はなかったという。しかしアンカレッジ・デイリー・ニュースが報じた法廷記録によると、有罪の当事者は、国立公園に隣接する狩猟が可能な地域である保護区内のファネル・クリーク沿いで野生動物を密猟した罪で起訴された。ニック・ジャンスの著書『The Grizzly Maze』などいくつかの資料によると、トレッドウェルは、カトマイ国立公園の沿岸、ハロー湾・カフリア湾またはその周辺でキャンプするのみだったという。なお、カトマイ国立公園の全域は16,000平方キロメートルであり、そこをパトロールする唯一の効果的な手段は、アメリカ合衆国国立公園局が運用している飛行機である。
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