加瀬俊一_(1920年入省)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 加瀬俊一_(1920年入省)の意味・解説 

加瀬俊一 (1920年入省)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 06:00 UTC 版)

加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1897年10月23日 - 1956年9月9日)は、日本の外交官太平洋戦争終戦当時の駐スイス公使で、戦後西ドイツ大使を務める。外務大臣秘書官国連大使を務めた加瀬俊一(としかず)とは同姓同名の別人である。外務省内では彼と区別するため「大加瀬」と俗称されていた[1]


  1. ^ 竹内、2005年、p16
  2. ^ 原文の"Kase expressed a wish to help arrange for a cessation of hostilities between the Japanese and the Allies."を有馬哲夫は「自分(加瀬)は日本と連合軍の敵対をやめさせる交渉を仲介したい」、竹内修司は「彼(加瀬)は日本と連合国間の敵対関係の停止を整えるための助力を求めている」と訳出している。
  3. ^ この原文は下記外部リンクのCIAライブラリーで読むことができる。
  4. ^ 有馬、2009年(平凡社)、pp.131-132
  5. ^ 竹内、2005年、p.30
  6. ^ a b 竹内、2005年、pp.32 - 37
  7. ^ a b c d 有馬、2015年
  8. ^ 竹内、2005年、pp.52 - 56
  9. ^ 竹内、2005年では「ペル・ヤコブソン」と表記。
  10. ^ 竹内、2005年、pp.126 - 131
  11. ^ 竹内、2005年、pp141 - 147。竹内によるとこの電報の本文自体確認できていない。
  12. ^ 竹内、2005年、pp.159 - 161
  13. ^ 長谷川、2011年、p.307。
  14. ^ 竹内、2005年、pp.227 - 229
  15. ^ 有馬、2009年(平凡社)、pp.145 - 146
  16. ^ 竹内、2005年、pp.252 - 253
  17. ^ 竹内、2005年、pp.247 - 248。東郷の回想は著書『時代の一面』からの引用。
  18. ^ 長谷川、2011年(上)、p.371。長谷川は「天皇、東郷、木戸(幸一)の意見はポツダム宣言受諾を主張した佐藤、ベルンの加瀬俊一、松本(俊一)とは異なっていた」と記している。
  19. ^ 長谷川、2011年(下)、pp.27 - 38
  20. ^ 有馬、2009年(平凡社)、pp.143 -147
  21. ^ 竹内、2005年、p181
  22. ^ 竹内、2005年、pp.238 - 239
  23. ^ 下記外部リンク『日瑞関係のページ』「藤村義一 スイス和平工作の真実」を参照。
  24. ^ 竹内、2005年、p.28。ただし竹内は『昭和史の天皇』(読売新聞社)に収録された、お互いに知っていたという証言があることも紹介している。
  25. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。


「加瀬俊一 (1920年入省)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加瀬俊一_(1920年入省)」の関連用語

加瀬俊一_(1920年入省)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加瀬俊一_(1920年入省)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加瀬俊一 (1920年入省) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS