北村孝治郎
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北村 孝治郎(きたむら こうじろう、1894年4月18日 - 1969年12月25日 )は、日本の銀行家、経営者。滋賀銀行頭取を務めた。
来歴・人物
滋賀県大津市出身[1]。1917年に東京帝国大学独法科を卒業[1]。横浜正金銀行での勤務を経て、1953年4月に滋賀銀行監事に就任し、1957年10月には頭取に昇格[1]。1963年10月には会長に就任[2]。75歳没。
横浜正金銀行からスイスの国際決済銀行 (BIS)に派遣されていた1945年、同じく派遣者の吉村侃とともに、スイス駐在公使の加瀬俊一(しゅんいち)およびスイス駐在陸軍武官の岡本清福の支援を得ながら、スウェーデンからBISに派遣されていたペール・ヤコブソンを介して、アメリカの諜報機関戦略情報局 (OSS)のアレン・ウェルシュ・ダレスとの間で日本の終戦工作を(ヤコブソンが別々に日本とアメリカの関係者と会合する形で)おこなった[3]。
脚注
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第23版 上』興信データ、1968年。
ビジネス | ||
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先代 岩波守文 |
滋賀銀行頭取 :1957年 - 1963年 |
次代 嶽山貞治郎 |
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