電報記録による検証とは? わかりやすく解説

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電報記録による検証

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:27 UTC 版)

藤村義朗 (海軍軍人)」の記事における「電報記録による検証」の解説

しかし、1970年代以降アメリカ傍受解読していた日本の外交電報パープル暗号)・海軍電報オレンジ暗号コーラル暗号)やOSS関連資料公開されるうになると、それらとの比較照合により信憑性疑い持たれる点が出てきた。まず、藤村最初和平工作電報送信を「5月8日」(ドイツ降伏の日)としているが、アメリカ側解読記録である「マジック・サマリー」に残る電報6月5日付であり、藤村事実より1ヶ月話を前倒ししたのではないかとみられている。前倒しした理由について有馬哲夫は、ダレス5月28日付でOSSスイス支局長を辞して諜報・工作関係しない占領地高等弁務官」に就任してベルン去っていた点に着目し、「ダレス機関」を相手和平交渉をしていたという藤村ストーリー辻褄を合わせるために前倒しをしたのではないか推論している。さらに、藤村当時電報で「ダレス側から自らに接触してきた」と記したが、戦後インタビューでその点について「せっぱつまってウソをついた」と証言している。 なお、藤村送信したとされる電報発信者を、アメリカ側解読記録「マジック・サマリー」はすべて西原市郎大佐としている。この点について、竹内修司暗号電報上は「スイス海軍アタッシェから東京海軍大臣軍令部総長宛」となっていたことから、公使館での役職からの推察西原としていたのではないか、とし、実際発信藤村西原了承得たか、もしくは独断嘱託津山重美大阪商船社員)に依頼して打たせたとしている。有馬哲夫は「(藤村が)西原が、あるいは西原名を借りた自分引用者中:藤村)が、電報打っていた」とし、西原発信関与していたとしている。なお、西原自身和平工作に関する回想は、出身である海軍機関学校OB回顧録発表したことが知られる程度である。以下、本記事では藤村発信として記述する藤村最初に海軍大臣軍令部総長送った電報概ね以下のような内容であったトルーマン大統領人気才覚能力の面で劣っており、表面上の無条件降伏求め主張とは別に人気評価高めるためひそかに戦争早期終結望んでいる。 ソ連対日参戦することをアメリカ望んでいない。 5月23日25日ダレス信頼すべき第三者ハックを指すと見られる)を通じてソ連干渉受けないスイス日米交渉会談する場所として適していること、ダレスワシントン直接接触しトルーマン大統領やステティニアス国務大臣ジョセフ・グルー代理に近いこと、日本対話希望するならそれをワシントン伝え日本側が海軍提督将官スイス派遣するのに賛成すればスイスまでの飛行機などのあらゆる便宜責任持って準備しその人物は二、三週間以内到着するのが望ましいことを極秘裏に提案したダレス同趣旨の電報ワシントンにも送っている。 なお、藤村はこの電報の中で、ソ連ヤルタ会談対日参戦することを提案しルーズヴェルト協調政策同意したとし(実際は逆)、その時期は8月下旬であろう記している。これ以外にもベルンの「海軍武官電報」としてソ連ヤルタ会談対日参戦約束したという電報5月24日に、「フランス共産党コネ有する情報源」をソースとして「ヤルタ会談で、7月末までに日本の降伏なければソ連参戦することに同意した」という電報6月11日それぞれ東京当てて打たれていたことが、イギリス保存されていた傍受解読記録ウルトラ)より判明しているが、藤村自身はこのソ連対日参戦密約情報の入手東京へ打電については明確な証言残していない。 6月5日付の電報日本側で受け取られたことは、当時海軍で密かに終戦工作当たっていた高木惣吉少将メモにほぼ同じ内容記されていることで確認できる高木はこの電報海軍大臣米内光政見せたが、米内は「敵による陸海軍離間策謀略である」と疑い、この提案採用することはなかった。高木自身は、電報内容真実なら自身派遣すれば本土上陸阻止できる申し入れたが、受け入れられなかったと述べている。 藤村上記電報続き6月7日には「小官見解」と題してダレス立場や、対イタリアでの和平工作実績訴え、「決し謀略ではない」とする第二報を送っている。 藤村は『文藝春秋掲載の手記で「6月22日本国から海軍大臣名で、”貴趣旨はよく分った。一件書類外務大臣の方へ廻したから、貴官所在公使その他と緊密に提携し善処されたし”という電報が来た 」と記しているが、これは確認できない。ただ、6月5日7日電報の後に日本から訓電あったらしいことは、現存する7月6日付で藤村打った電報傍受記録に残る和平工作関係の電報としては6月7日付の次)から窺えるこの中で藤村は「謀略取引ではないかという貴官疑念は当然で、我々もこの点については警戒怠っていない。もし、これが謀略であるという徴候が少しでもあれば、すぐさま現地公使陸軍武官伝えるつもりだ」「(先方から「東京から返電あったか」という問い合わせ二度受けたことに対して)もちろん貴官指示通りにこれに何の返答もしていない」と記している。そのうえで藤村謀略であることを重ねて否定した7月14日には、「ダレスとそのスタッフフランクフルト米軍総司令部出発したが、ダレスからは日本政府が望むならいつでも連絡取れるようにすると伝えられた」という内容電報送られた。このあと16日17日ダレス秘書であるゲベルニッツの紹介と彼から入手したアメリカ側見解伝え電報打っている。17日電報では日本の敗戦必至アメリカ側対日戦への意欲が高いことを示した上でダレス日本との連絡チャンネル設けて早急な和平持ち込む意志があると伝え、今のこのチャンネル絶たないことが重要で、それによって自分何事かを成し遂げたい考えるので、東京見解指示請う内容となっている。 しかし、海軍中央藤村電報について、その扱い外務省一任した。7月23日扱い委ねられ外務省から、ベルン駐在加瀬俊一公使対し、以下のような電報発信される原文文語体現代文意訳)。 最近、そちらの海軍武官から、ルーズベルト特使Dullasなる者より確実な第三者を介して、「日本側がワシントンアメリカ秘密裡話し合う意向があればワシントン政府伝達するので、東京から海軍高官スイス派遣するなら飛行機その他の準備引き受ける」という申し出受けたので、措置請訓してきた。海軍中央当方連絡の上、「敵の謀略および離間工作がしきりに行われている上、主目標海軍置いていると思われることに鑑み中央としては本件取り上げない意向なので、この種の工作に対してスイス駐在日本官憲と密接に連絡して周到に観察すべきである」との回答発して、処理を外務省一任してきた。ついては詳細をそちらの海軍武官から聴取いただきたい。また本件、Dullasなる人物の確実性に関する見込相手方通じてアメリカ和平問題に関する真意探れかどうか、そちらの見方至急返電いただきたい — 加瀬俊一、「瑞西における<ダレス工作」『東亜戦争一件』/「スウェーデン」、「スイス」、「バチカン」等二於ケル終戦工作関係』pp.33-34 この電報については、先に海軍から藤村宛に訓電発した電話連絡があった、との但し書きがある。前日7月22日に、軍令部総長名でベルン公使館海軍顧問宛てて、「この件が外務省移管されたので現地外務省代表と連絡取り海軍としては表だって関与しない。敵の最近宣伝は敵が困難に直面していることが窺える海外海軍代表は軽率な行動慎み、慎重でなくてはならない」といった電報送られた。藤村7月26日、「自分立場わきまえており、過去将来軽率な行動取らない戦争今後経過によらず自分としては捕虜等の相手拘置され人々情報交換のため、政策軍事行動影響及ぼさない範囲敵方間接的な接触維持することは重要だ信じるが、貴電の指示により当面海軍軍人としては表に出ないようにする。もし命令があればアメリカ権威筋即座に接触できる道はなお開いておく」という内容返電発信している。少なくとも、『文藝春秋の手記にある海軍中央の無理解を嘆くような態度見受けられない藤村からの和平工作に関する電報で、傍受記録から確認できるのはここまでである。その数は10通に満たず藤村主張する30通以上」とは大きな開きがある。また、藤村の手記にある「自らが東京行って話す方法はないか」と尋ねたという内容は、現存する電報には記されていない一方加瀬公使7月31日東郷茂徳外相に「海軍武官西原大佐)および輔佐官(藤村)から聴取した」とする電報送ったこの中で加瀬は、藤村が「同人性格上、並びに西原武官技術官である関係から種々問題惹き起こしている」と記し、「イニシァチブが米国側から出たものとは認め難いので、黙殺することにすべきだと思う」と述べた。実は加瀬公使はすでに、陸軍スイス駐在武官である岡本清福中将依頼受けた国際決済銀行理事北村孝治郎および同じく国際決済銀行為替部長吉村侃が、国際決済銀行顧問ペール・ヤコブソン通じてダレス和平交渉接触を取ることに内諾与えていた。加瀬藤村互いがおこなっていたダレスとの接触についてほとんど知ることはなく、独断動いた藤村加瀬はよい印象持っていなかったことがこの電報から読み取れる藤村の側も、戦後1948年高木惣吉から自らの工作について聴取受けた際、加瀬を「無能の人物。責任分散恐れる事甚だしかった本土決戦主張する大本営意向反す仕事をすることは、表面的に問題が深刻重大であるため、他の人に話させたかった」と評しこの段階では加瀬関与した岡本中将らによる和平工作明るみ出ていなかった)、スムーズな関係ではなかった。

※この「電報記録による検証」の解説は、「藤村義朗 (海軍軍人)」の解説の一部です。
「電報記録による検証」を含む「藤村義朗 (海軍軍人)」の記事については、「藤村義朗 (海軍軍人)」の概要を参照ください。

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