ドイツ降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:42 UTC 版)
「フレデリック・マイヤー (スパイ)」の記事における「ドイツ降伏」の解説
マイヤーが拷問を受けている頃、別任務で潜入していたアメリカのエージェント、ハーマン・マトゥール(Hermann Matull)もゲシュタポによる取調べを受けていた。取調官は殴られてすっかり腫れたマイヤーの顔写真を示し、この男に見覚えはあるかとマトゥールに尋ねた。マトゥールはすぐに口を開き、マイヤーはアメリカ軍司令部の「大物」であり、もし彼を射殺したならば、アメリカ軍は彼に危害を加えた全員を殺害するだろうと証言した。また、それほどの大物の尋問を行えるのは、チロル=フォアアールベルク帝国大管区指導者フランツ・ホーファーのみであろうとも語った。 当時、ホーファーは既に敗戦を確信しており、赤軍ではなくアメリカ軍に降伏する道を模索していた。そのため、ゲシュタポからの報告を受けたホーファーはすぐにマイヤーを連れてくるように命じた。こうしてマイヤーはホーファーの元を訪れ、ホーファー夫人と在伊ドイツ大使ルドルフ・ラーン(英語版)を紹介され、夕食会への招待を受けた。マイヤーはこれも無線士の居場所を聞き出すための試みだと考えていたが、会話を進める内に実は彼らが降伏を望んでいることが明らかになった。ラーンは自らがベルンに赴き、OSSの現地支局長を務めるアレン・ウェルシュ・ダレスにマイヤーからのメッセージを伝えようと提案し、マイヤーもこれに同意した。これは無線士ワインバーグの存在を明かさないまま自分の状況を本部へ伝える唯一の方法だったからである。メッセージを受け取ったダレスはOSSイタリア支局に対し、「フレッド・マイヤーの報告によると、彼はゲシュタポに逮捕されたものの、次のように連絡してきた『おれのことは気にするな。実際、そんな悪い状況じゃないんだ』」という報告を電信で送った。 1945年5月3日朝、米第7軍第103歩兵師団(英語版)に対し、インスブルック占領が命じられた。アメリカ兵たちが街に近づくと、白いベッドシーツを白旗代わりに掲げた車が近づいてきた。その車から降りたマイヤーは情報将校ブランド・ウェスト少佐(Bland West)に対し、OSSのマイヤー中尉と名乗り、ドイツの降伏を承認させるために少佐を迎えに来たのだと語った。しかし、マイヤーは実際には軍曹だったので、インスブルックにおけるドイツ陸軍はユダヤ系移民のアメリカ人軍曹に対して降伏したことになる。
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