祖国ドイツ降伏まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:18 UTC 版)
「エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー」の記事における「祖国ドイツ降伏まで」の解説
1936年、ユニリーバ社の顧問となる。翌1937年に長男のピーター・クリスティンが誕生。後に義弟となるヴェルナー・ハイゼンベルクと出会う。バッテリー・トラクション社の顧問となる。 1940年、次男のジョンが誕生するも、敵国人として職を追われ、農場に職を得るも、収容され3か月後に釈放される。収容中に書いた Multilateral Clearing という国際決済制度に関する論文をケインズに送った。 1942年、ケインズの紹介でオックスフォード大学統計研究所に職を得る。『オブザーバー』紙の嘱託記者となる。後に、『タイムズ』紙や『エコノミスト』紙にも執筆するようになる。 1944年、ウィリアム・ベヴァリッジのために『自由社会における完全雇用』を執筆。翌1945年にイギリス国籍を申請し、英語風の「アーネスト・フレデリック・シューメーカー」と改名した。
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