和平工作と終戦への関わりとは? わかりやすく解説

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和平工作と終戦への関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 20:48 UTC 版)

加瀬俊一 (1920年入省)」の記事における「和平工作と終戦への関わり」の解説

アメリカ情報機関である戦略情報局Office of Strategic Services、略称OSSCIA前身)の文書統合参謀長会議12日付で提出された)によればスイス公使だった加瀬ドイツ敗戦後1945年5月11日当時スイス在住だったフリードリヒ・ハック日本海軍ドイツ武器売っていた)を通じて日本連合軍敵対関係停止するための活動について希望 ソ連介した交渉は、ソ連威信高めて東アジア全域共産化することになるため、米英直接対話することが望ましい 日本の望む条件一つ天皇制維持で、これは共産化を防ぐ唯一の手段である。国務次官グルーもおそらく同じ意見だろう といった内容戦略情報局スイス支局伝えた14日には、日本取り巻情勢分析した電報本省に送る。この中で加瀬日本置かれ立場容易ではない指摘し戦争継続して最後の最後まで戦う」ことはドイツ轍を踏むこととなり、重大な危機直面しているとした上で軍事的に不利な状況では外交手段によって状況変えるべきだと提案した外交手段具体的内容として、米英との直接交渉ソ連通じた交渉挙げ米英との交渉直接和平申し出るしかないが、ソ連疎外することで参戦口実与え可能性があるとし、ソ連経由交渉については「米英ソ連疎隔すること」は問題外だとした上で、仮にソ連これ以上戦わず目的達成することを望むなら、彼らに提供できるものと引き替え和平仲介を取ることができるかもしれず、この交渉失敗して米英との直接交渉失敗するよりはまだましだという見解述べている。戦争終わらせるために和平交渉乗り出すべきだという提言であったこのうちソ連経由交渉」の観点は、ほぼ同時期にソ連経由した和平交渉開始した東郷茂徳外務大臣外務省中央の見解近くハックに対して語ったソ連利するので、米英との直接対話が望ましい」という意見とは異なっている。 同じ頃、スイス駐在横浜正金銀行員で国際決済銀行にも所属していた北村孝治郎・吉村侃の両名から、アメリカとの直接交渉による連合国との和平工作進め相談スイス駐在陸軍武官岡本清福中将依頼による)を持ちかけられた際、加瀬はこれに内諾与えた北村吉村は、国際決済銀行経済顧問だったスウェーデン人ペール・ヤコブソン仲介により、7月になってスイス支局であったアレン・ウェルシュ・ダレス(後のCIA長官)とコンタクトヤコブソン両者別々に会う形で実施された)をとり、ダレスからは東京から公式な表明があれば接触のための手続きに入ることを示唆される。これに基づき岡本中将7月18日陸軍参謀総長梅津美治郎宛に意見具申電報送ったとされるが、竹内修司はこの電報結局梅津の目には触れなかったのではないか推測している。加瀬7月21日に(岡本電報東郷外相にも届いていることを前提に)2通の電報外務省宛に発信したこの中で加瀬は、北村吉村が「中立国通じ米国側の意向を探る」活動をおこなっていることを紹介した上で、「単刀直入にアメリカ話し合うのが上策」と述べ北村ヤコブソン通じて得た情報伝えた。しかし、外務省ソ連仲介とした和平交渉最優先としていた。この時期7月20日頃)の東郷について長谷川毅は、和平道筋として第一にモスクワ路線」(ソ連への譲歩による、無条件以外の条件での終戦)、第二に「モスクワ斡旋米英との直接交渉第一歩」という二つ路線進め考えであったとしている。 ポツダム宣言連合国から示されると、加瀬7月30日外務省に対して、(4ヶ国に分割占領された)ドイツ場合とは要求内容異なる(国体触れていない、日本主権認めている、「無条件降伏」の対象軍隊のみで政府ではない、一般平和産業保持通商容認している等)が完全敗北した場合にはその保証はなくなること、「無条件降伏」の内容緩和されていること、日本側の反応によってはソ連日本何らかの勧告を出す可能性があることを考察として送った。この電報内容は、駐ソ連大使佐藤尚武にも送られ佐藤加瀬考察を「きわめて妥当な観察」と評価してポツダム宣言早期受諾促す電報8月4日東郷送っている。和平工作ポツダム宣言について加瀬外務省送った電報東郷がどう見ていたかという点についての評価は、論者により異なる。竹内修司東郷戦後回想で、加瀬(および北村吉村岡本)による和平工作後述藤村義一工作混同している点を指摘し加瀬らの動きについて東郷は無関心であったとしている。長谷川毅は、東郷外務省は「ポツダム宣言受諾基礎にした降伏条件」の研究着手はしていたが、天皇の地位明言されていなかったためポツダム宣言受諾提言できず、(ソ連対日宣戦布告まで)ソ連への斡旋依頼政府をまとめざるを得なかったとしている。長谷川は、広島市への原子爆弾投下2日後時点でも東郷ポツダム宣言受諾強く主張しておらず、ソ連への斡旋望みをかけていたとしている。これに対して有馬哲夫は、前記7月21日加瀬電報合わせて、これらを目にした東郷が「連合国側天皇制存置黙認する」という感触得てポツダム宣言早期受諾向けて動くようになったとしている。 この年6月から7月にかけて、公使館海軍顧問輔佐官だった藤村義一中佐単独ハックを介してダレス向けておこなっていた和平工作について、この話を謀略見た海軍中央から扱い一任され外務省から、7月23日に「詳細現地海軍武官から聴取されたい」という電報加瀬宛に届く。加瀬藤村とその上司の西原市郎大佐聴取した上で7月31日外務省返電送ったが、この中で加瀬は「藤村輔佐官は当人性格上、並びに西原武官技術官である関係から種々問題惹き起こしている」と記した上で、「イニシァチブが米国側から出たものとは認め難いので黙殺することにすべきだと思う」と記している。藤村の側は、戦後1948年元海少将高木惣吉から和平工作聴取受けた際、加瀬を「無能の人物。責任分散恐れる事甚だしかった本土決戦主張する大本営意向反す仕事をすることは、表面的に問題が深刻重大であるため、他の人に話させたかった」と評した藤村当時加瀬が行っていた和平工作についてまったく知らなかったとされている。

※この「和平工作と終戦への関わり」の解説は、「加瀬俊一 (1920年入省)」の解説の一部です。
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