和平成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 23:28 UTC 版)
詳細は「en:Peace process with the Bangsamoro in the Philippines」を参照 条件付和平交渉を求めるMNLFに対しフィリピン政府はこれを拒んで掃討作戦強化で応じたが、フィリピン経済の発展のためには国内情勢の安定化は急務であり、やがてイスラム諸国会議機構の仲介でラモス政権下の1993年に暫定的な停戦合意が成立し、自治交渉が再開された。そして、3年間に及ぶ和平交渉の末、自治政府樹立を目指しミンダナオ南部などの14州に暫定的な行政機関南フィリピン和平開発評議会(SPCPD)の設立やMNLF兵士の国軍統合、ミスアリをARMM知事選の与党候補とすること、教育制度や宗教に関する取り決めなどが合意され、政府とMNLFの和平交渉はここに合意するに至った。 だが、SPCPDにおいてもARMMに参加しない残りの州の無条件での自治権が担保されたわけではなく(再投票実施で合意)、結果的にこれを受け入れたヌル・ミスアリ指導部に反発する多数の兵士がMILFやアブ・サヤフへ合流する事態を招いた。 この為、MNLFの軍事力は著しく衰退した。
※この「和平成立」の解説は、「モロ民族解放戦線」の解説の一部です。
「和平成立」を含む「モロ民族解放戦線」の記事については、「モロ民族解放戦線」の概要を参照ください。
- 和平成立のページへのリンク