和平委員会での交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 22:52 UTC 版)
「モードック戦争」の記事における「和平委員会での交渉」の解説
2月19日、和平委員会はラバベッズの西、フェアチャイルド牧場で最初の会合を開いた。キャプテン・ジャックとの会見を手配するための使者が派遣された。ジャックは、委員会が2人の開拓者、ジョン・フェアチャイルドとボブ・ホイットルをラバベッズの縁に派遣するならば、彼らと話をすることに同意した。フェアチャイルドとホイットルがラバベッズに行くと、キャプテン・ジャックは、もし委員会がイーレカのイライジャ・スティール判事を同道してラバベッズに来るならば、委員会と話をすると告げた。スティールはキャプテン・ジャックと友好的な間柄だった。スティールは砦に行った。砦での1夜の後に、フェアチャイルド牧場に戻り、モードック族は策略を考えており、委員会の全ての努力は意味の無いものになると、和平委員会に伝えた。ミーチャムは内務長官に電報を打って、スティール判事の意見を知らせた。内務長官はそれに対する返事で、ミーチャムに休戦のための交渉を継続するよう指示した。A・M・ローズバラ判事が委員に追加された。ジェシー・アップルゲイトとサミュエル・ケイスは委員を辞任し、エリエザー・トーマス牧師とL・S・ダイアーが後任になった。 白人はキエントプース(キャプテン・ジャック)酋長をこの反乱の「指導者」とみなし、彼と和平を結びたがった。しかし、インディアンの社会は合議制民主主義が基本であり、酋長は本来「調停者」であって、「指導者」でもなければ「部族長」でもない。キエントプースは「話のわかる白人の酋長」としてイライジャ・スティールとの合議折衝を求めているのである。しかし白人はあくまでキエントプースを「軍事的指導者」と誤解しているから、彼との和平調印がすべての解決策だと勘違いしているのである。酋長であるキエントプースに、部族員全員を従わせるような権限は無い。 和平交渉は、両陣営の中間の無人地帯で開かれ、何の進展もないままだらだらと数カ月続いた。モードック族は生まれ故郷のそばに小さな保留地を設置するよう要求して譲らなかった。インディアンの小規模なバンドが、アメリカ政府の要求を公然と拒否する光景は、全米に報じられ、アメリカ白人の同情と称賛を呼んだ。 4月、砦から西2.5マイル (4 km) のラバベッズの縁にジレム・キャンプが設営された。アルバン・C・ジレム大佐が、E・C・メイソン大佐の指揮するホスピタルロックの部隊を含め、全部隊を指揮することになった。 4月2日、委員会とキャプテン・ジャックはラバベッズの砦とジレム・キャンプとの中間地点で会合した。この会合でキャプテン・ジャックは、 モードック族全員を一切訴追しない モードック族の土地からの米軍の撤退 モードック族自身の保留地を選択する権利 の三点を要求した。これに対し白人の和平委員会は、 キエントプース(キャプテン・ジャック)とモードック族は、知事が選定する保留地に移動永住すること 「白人入植者の殺害」という罪を犯したモードック族員を殺人罪で裁判に掛けるため、米軍に引き渡すこと の二点を提案した。長い検討が行われた後で、何も決まらずにこの会合は流れた。キエントプースはあくまで酋長(調停者)であるから、部族員にこれらの要求を検討するよう提案は出来るが、「部族員を引き渡す」などといった権限はキエントプースを始め、部族の誰も持っていない。白人和平委員会の要求は、酋長を首長と誤解したことからくるものであり、キエントプースからすれば無理難題だった。インディアンの社会のルールで言えば、白人を殺した部族員がいれば、白人はその個人と直接交渉するべきなのである。 部族では会議が開かれたが、平和的な解決を望んだキャプテン・ジャックに反対意見が相次いだ。ジョン・ションチンとフッカー・ジムの仲間たちは、米軍の指導者を殺せば米軍を退かせることになると考え、ジャックに和平委員会のメンバーを殺すべきだと提案した。彼らは協議の場で、女の衣服を着て交渉を続けるジャックを恥じた。呪い師のカーリー・ヘッデッド・ドクターは、彼の呪術によってモードック族に死人は出ない、と保証した。 結局、キャプテン・ジャックは調停者としての酋長の立場から、「進展が見られない場合に委員会を攻撃する」という議会の多数決に従った。インディアンはすべての決めごとを合議で行うからである。 4月5日、キャプテン・ジャックはアルフレッド・B・ミーチャムとの会見を要請した。ミーチャムはジョン・フェアチャイルドとローズバラ判事、通訳を務めるフランク・リドルとトビー・リドルを同行し、ジレム・キャンプの東約1マイル (1.6 km) の平らな場所に立てられた休戦のテントでキャプテン・ジャックと会見した。キャプテン・ジャックはそのラバベッズを保留地として与えられるよう要求した。この会見も合意無くして終わった。ミーチャムがキャンプに戻った後で、4月8日に休戦のテントで再度和平委員会と会見することを求める伝言がキャプテン・ジャックに送られた。モードック族の女性で白人開拓者フランク・リドルの妻、トビー・リドルはこの伝言を持って行ったときに、モードック族が和平委員会のメンバーを殺そうと計画していることを知った。 4月8日、和平委員会が休戦のテントに向かって出発するその時に、ジレム・キャンプの上にある崖上の信号塔から伝言が届いた。その伝言には塔から見たところで、5人のモードック族が休戦のテントに居り、約20名の武装したモードック族が近くの岩陰に隠れていると言っていた。委員会はモードック族が攻撃を計画していることを認識した。委員会メンバーはキャンプに留まることで意見が一致した。トーマス牧師はモードック族による攻撃計画について警告を与える代わりにキャプテン・ジャックと会見する別の機会を設定するよう主張した。4月10日、キャプテン・ジャックに翌朝休戦のテントで和平委員会と会見することを求める伝言が送られた。
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