日米終戦交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 03:56 UTC 版)
「フリードリヒ・ハック」の記事における「日米終戦交渉」の解説
第二次世界大戦終戦時の1945年に活動を再開する。そして、アメリカの戦略情報局(Office of Strategic Services、略称OSS)のアレン・ダレス(後のCIA長官)と接触、以降、ベルリン海軍武官室の酒井直衛や藤村義朗中佐らとダレス機関との交渉の準備・仲介を行う。本国の日本海軍側が「アメリカによる陸海軍の離間策」を疑ったため、交渉は成立しなかったが、終戦直前まで工作を行った。 また、1945年3月頃にスイスの国際決済銀行理事で横浜正金銀行職員だった北村孝治郎とOSSの工作員を自らの仲介で引き合わせたことが、ダレスがアメリカに送ったレポートに記録されている。北村は後にスイス駐在陸軍武官の岡本清福中将からの依頼で、同僚の吉村侃とともに(日本公使館の加瀬俊一公使の内諾も得て)、国際決済銀行顧問のペール・ヤコブソンを介してダレスと和平のための接触を持つことになるが、その動きにもハックは関係していたことになる。
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