日米綿製品協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 17:49 UTC 版)
1955年、ベトナム戦争が始まり米国が繊維製品の関税引き下げを行ったことで、「ワン・ダラー・ブラウス(One dollar blouse)」に代表される日本製の安価な綿製品の輸入が激増。これに対し米国繊維業界で、日本からの綿製品輸入制限運動が高まりを見せる。米国政府は国内での機運の高まりに応じ、日本に対して綿製品貿易に関する取り決めを提案。1957年に「日米綿製品協定」が締結され、日本は対米綿製品の輸出を5年間自主規制することとなる。
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