オースティン・チェンバレン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 02:45 UTC 版)
サー・ジョゼフ・オースティン・チェンバレン(Sir Joseph Austen Chamberlain, KG、1863年10月16日 - 1937年3月17日)は、イギリスの政治家。植民地大臣を務めたジョゼフ・チェンバレンの長男。首相を務めたネヴィル・チェンバレンは異母弟。ミドルネームのオースティンを主に使用した[6]。自由統一党、後に保守党に所属。保守党内閣や挙国一致内閣において財務大臣(在職1903年-1905年、1919年-1921年)やインド大臣(在職1915年-1917年)、外務大臣(在職1924年-1928年)などの閣僚職を歴任した。外務大臣在職中の1925年にはロカルノ条約を締結してヨーロッパの緊張緩和に努め、その功績でノーベル平和賞を受賞した。
- ^ a b c d e 秦郁彦編 2001, p. 512.
- ^ 秦郁彦編 2001, p. 513.
- ^ a b 秦郁彦編 2001, p. 511.
- ^ a b c UK Parliament. “Mr Austen Chamberlain” (英語). HANSARD 1803–2005. 2019年4月21日閲覧。
- ^ 秦郁彦編 2001, p. 542.
- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Sir Joseph Austen Chamberlain” (英語). thepeerage.com. 2019年4月1日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 134.
- ^ 神川信彦 2011, p. 424.
- ^ クラーク 2004, p. 25.
- ^ 坂井秀夫 1967, p. 405.
- ^ 坂井秀夫 1967, p. 457.
- ^ タックマン 1990, p. 466.
- ^ ブレイク 1979, p. 230.
- ^ 中村祐吉 1978, p. 112.
- ^ 中村祐吉 1978, p. 115.
- ^ 中村祐吉 1978, p. 116.
- ^ 中村祐吉 1978, p. 202.
- ^ 秦郁彦編 2001, p. 514.
- ^ マッケンジー 1965, p. 116-117.
- ^ マッケンジー 1965, p. 117-118.
- ^ マッケンジー 1965, p. 117-119.
- ^ a b マッケンジー 1965, p. 140-141.
- ^ クラーク 2004, p. 115.
- ^ 佐々木雄太 & 木畑洋一 2005, p. 79.
- ^ a b 佐々木雄太 & 木畑洋一 2005, p. 121.
- ^ a b 佐々木雄太 & 木畑洋一 2005, p. 122.
- ^ 早川崇 1983, p. 22-23.
- ^ 坂井秀夫 1977, p. 3.
- 1 オースティン・チェンバレンとは
- 2 オースティン・チェンバレンの概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
- オースティン・チェンバレンのページへのリンク