ダンバートン・オークス会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 21:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ダンバートン・オークス会議(ダンバートン・オークスかいぎ、英:Dumbarton Oaks Conference)は、1944年8月から10月にかけてワシントンで開催された国際会議[1]。この会議で採択された提案は「ダンバートン・オークス提案」といわれ、これはサンフランシスコ会議で採択された国連憲章のもととなった[1]。
概要
ワシントンD.C.郊外にあるダンバートン・オークス邸で2回に分けて行われ、1度目はアメリカ合衆国、ソビエト連邦、イギリスの3カ国間で、2度目はアメリカ、イギリス、中華民国の3カ国間で行われた[1]。
合衆国国務次官のエドワード・ステティニアスが議長を務めた[2]。英国の代表団を率いたのは外務次官のアレクサンダー・カドガンであり、ソビエト代表団は駐米大使アンドレイ・グロムイコが率いていた[3]。
この会議で採択された通称「ダンバートン・オークス提案」は正式名を「一般的国際機構の設立に関する提案」(英語:Proposals for the Establishment of General International Organization)といい、この提案は1944年10月9日に公表された[1]。その後、1945年のサンフランシスコ会議で採択された国連憲章はこの「ダンバートン・オークス提案」をもとにして修正等を行ったものであるが、後に国連憲章に規定された安保理決議の表決手続き、ソビエト連邦構成共和国の国連加盟に関する規定、非自治地域に関する規定(国連憲章第11条)、信託統治に関する規定(国連憲章第12章)、自衛権に関する規定(国連憲章第51条)に関してはダンバートン・オークス会議では合意を得られなかった[1]。
出典
参考文献
- 筒井若水『国際法辞典』有斐閣、2002年。ISBN 4-641-00012-3。
関連項目
外部リンク
- 『ダンバートン・オークス会議』 - コトバンク
ダンバートン・オークス会議
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「グリーン・ハックワース」の記事における「ダンバートン・オークス会議」の解説
ダンバートン・オークス会議に先立ち、国務省は準備のために計画グループを立ち上げた。このグループは3つのセクションに分かれており、各セクションはダンバートン・オークス会議で扱われることになっていたそれぞれ別のトピックを担当していた。ハックワースは、国際紛争の平和的解決と世界裁判所の開発のための取り決めを研究する第2グループのリーダーとなった。 ダンバートン・オークス会議では、ハックワースは、世界法廷の問題に対処するために設立された特別法律小委員会の議長を務めた。この小委員会は、会議の前にハックワースのセクションが作成したアメリカの法令草案を基にしていた。 小委員会はまず、現在の法廷(常設国際司法裁判所)を継続すべきか新しい法廷を設置すべきか、また新しい法廷と新しい国際組織との関係はどうあるべきか、などの技術的に複雑な問題に取り組んだ。ハックワースは、既存の法廷規定を可能な限り残すべきだというアメリカの見解を支持した。しかし、ソビエト連邦は一部の中立国が世界法廷に加盟し続けることに強く反対し、新しい法廷の設立を支持した。この紛争や世界法廷をめぐるその他の紛争はサンフランシスコ会議で解決され、ハックワースはアメリカを代表して国際司法裁判所の規約を最終的に決定することを任務とする第4委員会に参加した。
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