国際連合の安全保障理事会常任理事国
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「四人の警察官構想」の記事における「国際連合の安全保障理事会常任理事国」の解説
フランスがルーズベルト米大統領の構想から除外されていたのはヴィシー政権の存在があった。後にチャーチル英首相が一貫してシャルル・ド・ゴール将軍下のフランスを擁護した。アメリカがフランスを大国として処遇する意思はなく、戦後における大国としての地位を認めないとする点で一致した政策路線をもっていた。この背景には1941年12月のサンピエール島・ミクロン島占拠事件におけるドゴールに対する強い不信感があった。 1943年3月27日のルーズベルト米大統領と英外相アンソニー・イーデンとのワシントン会談において、大統領側は戦後の国際機構は最終的に米英ソ中が実質的決定を行うのであり、この4カ国は長きに渡って世界の治安維持に責任を負わねばならなくなる国であると述べている。1943年のテヘラン会談の際にスターリンはフランスへの全面的な不信感を口にし、フランスから帝国を取り上げるべきだと発言し、この考えはかねてからルーズベルトが考えていたことであった。チャーチルはヨーロッパには強いフランスが必要であり、またそもそも全ての植民地を国際的な信託統治へ移行させようとするルーズベルトの企みに道を作ってしまうものと警戒していた。1944年8月21日〜10月9日のダンバートン・オークス会議で、四大国と並んでフランスを安保理常任理事国とすることが合意された。
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