ロケットの開発
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「欧州ロケット開発機構」の記事における「ロケットの開発」の解説
「ヨーロッパ (ロケット)」も参照 開発ロケットはヨーロッパと命名され、一段目はイギリスのブルーストリークを用い、二段目にはフランスのコラリーを使用した。三段目は西ドイツが担当し、人工衛星はイタリア製であった。オランダとベルギーは追跡・テレメトリーシステムを担当した。1964年6月にオーストラリアのウーメラ試験場で行われ、成功したものの、この時点ではまだドイツやフランスが計画している2、3段は開発途上にあり搭載されていなかった。 ヨーロッパ計画の策定以来状況は変化し、静止軌道上の通信衛星打ち上げ市場のためにより強力なロケットが必要となっていた。参加国はヨーロッパロケットの能力が不十分であることを認識していた。1965年1月にはフランスが、静止軌道に衛星を打ち上げるために液体ロケットの第2段を持つ仕様に変更するようにELDOの参加国に働きかけ始めるが、このような新技術の開発は大きな賭けであり、打ち上げ予定が1970年と、より遅れることを意味した。同時期、イギリスはブラック・アローの上段用に開発していた液体水素エンジンを転用したエンジンの開発を進めていたが、フランスをはじめ、各国はイギリスへの依存度が高まることを快く思わなかった。議論は静止軌道への到達を可能にする4段式のヨーロッパ2の開発を行うことで妥協したものの、イギリスは予算超過とフランスの横槍に苛立ちを隠せず、ウーメラ試射場でクールー基地の代替を行うことをやめると脅し、1966年6月には37.89%の参加負担を27%に削減することを発表した。 6回目の打ち上げとなるF6-1では2段目にコラリーが初搭載されたが、コラリーのエンジンが点火せず失敗した。再挑戦となったF6-2もコラリーが原因で失敗した。これらの問題を解決したF7・F8は、3段目の不具合で打ち上げに失敗した。テレメトリのデータの解析の結果、エンジンの停止中に2段目の燃焼室の圧力と推力の変動が3段目のタンク間の隔壁を破壊し、これが原因で自己着火性推進剤(N2O4/N2H4)が混ざり合って3段目の始動前に爆発に至った事が判明した。 ここに至り、ヨーロッパ・ロケットの開発は中止され、1974年にELDOは欧州宇宙研究機構(ESRO)と統合、欧州宇宙機関となった。
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ロケットの開発
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「韓国航空宇宙研究院」の記事における「ロケットの開発」の解説
1990年から一段固体燃料ロケットのKSR-1の開発を開始し1993年に打ち上げている。1997年と1998年にはKSR-1を発展させた二段ロケットKSR-2の打ち上げを成功させている。1997年12月、将来に人工衛星打ち上げ能力を保持するために液体酸素/ケロシンロケットエンジンの開発を開始し、2002年にこの韓国初の液体燃料ロケットエンジンを使用したKSR-3の打ち上げを行った。 ロシアのクルニチェフ国家研究生産宇宙センターなどから技術援助を受けて韓国初の人工衛星打ち上げ用ロケット(ローンチ・ヴィークル)「羅老」と羅老宇宙センターを完成させた。ロケットの核心部分である一段目にはアンガラ・ロケットのRD-151エンジンが使用されている。2009年8月25日に羅老1号機を羅老宇宙センターから打ち上げたが、搭載衛星STSAT-2Aを覆うフェアリングに不具合があり軌道投入に失敗、2010年6月10日に羅老2号機を打ち上げたが発射137秒後に爆発し、搭載衛星STSAT-2Bも失った。2013年1月30日に羅老3号機でSTSAT-2Cの軌道投入に成功した。この打ち上げは韓国のロケットで人工衛星の軌道投入に成功した初の打ち上げとなった。ロシアとの契約により、この打ち上げで羅老の運用を終了した。 2010年から羅老の後継機のヌリ(計画名:KSLV-II)の開発が始まっており、2021年に初打ち上げの予定である。
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