ウルバン砲とは? わかりやすく解説

ウルバン砲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/27 05:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
Great Turkish Bombard

ウルバン砲(ウルバンほう)は、オスマン帝国1453年コンスタンティノープル攻略戦で使用した大砲。「ウルバンの巨砲」とも呼ばれる。名前は開発者である15世紀ハンガリー人ウルバンにちなむ。ウルバンは当初東ローマ帝国側に大砲を売り込んだが、拒絶された(しかも牢獄に送られた)ためにオスマン帝国に与したと言われている。

コンスタンティノープルの防御の要であるテオドシウスの城壁を撃ち破るために戦いに投入された。ウルバン砲の鋳造エディルネで行われ、その砲丸に使う石は黒海方面から運ばれたといわれる。約8メートルの長さがあり、通常はある程度部品を分離した状態で運搬し、戦闘時には連結するようになっていたと推定される。発射される砲丸の重さは500キログラム以上になり、射程・威力共に当時の火砲を上回るものだった。しかし、その大きさゆえに故障の多発・次弾装填に時間が掛かるなどの欠点があり、随時修復される強固な城壁を打ち破るには決定力が足らなかったとされる。また、命中率も長大な城壁のどこかに当たるのがやっとというほどであった。このため、その破壊力をもってしても城壁を完全には破壊できなかった。

しかし多くの欠点がありながらも、その破壊力によってコンスタンティノープル攻略に多大な貢献をしたことは事実であり、後世にその名を残すことになった。

ちなみに、この後もオスマン帝国は同等の大型大砲を多数鋳造し、ヨーロッパ各国に恐怖を覚えさせ、後に築城の「」から「要塞」への変化・銃火器を使う部隊編成などの戦術転換をヨーロッパにもたらした。

関連項目


ウルバン砲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 03:42 UTC 版)

超兵器」の記事における「ウルバン砲」の解説

コンスタンティノープルの戦いオスマン帝国により使用され大砲で、ウルバン巨砲とも呼ばれた故障多発・次弾装填時間が掛かるなどの欠点があり、また命中率低かったものの、攻城兵器としての威力迫力驚異的であり、当時ヨーロッパ戦術築城技術転換もたらした

※この「ウルバン砲」の解説は、「超兵器」の解説の一部です。
「ウルバン砲」を含む「超兵器」の記事については、「超兵器」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ウルバン砲」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウルバン砲」の関連用語

ウルバン砲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウルバン砲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウルバン砲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの超兵器 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS