監督・キャスティング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:01 UTC 版)
「人生劇場 飛車角」の記事における「監督・キャスティング」の解説
日本の映画産業のピークは1958年から1960年で、1960年代に入ると映画は娯楽産業の花形から急速に転落したが、メロドラマの松竹は業績がまだ良かった。岡田はやくざ映画なら松竹に対抗できる、青成瓢吉を主人公にしないで、侠客の飛車角に絞れば当たると、プロデューサーの勘が働いた。岡田は「やくざに共鳴するところがあったと思う」と話している。本作は時代劇が撮れる監督を使わないと無理だと、岡田は沢島忠監督を京撮から呼び寄せた。撮影期間も短く周囲はベテラン監督を推したが、岡田が沢島の起用を決めた。飛車角に鶴田浩二、吉良常に月形龍之介、飛車角の情婦おとよに佐久間良子、おとよを知ったために死地に赴く男、宮川に高倉健。これらの配役は岡田の強い意向によるもの。片岡千恵蔵を軸にした従来の東映的キャスティングを捨てたところが岡田の新しい発想だった。沢島は時代劇映画、特にひばり映画の巨匠として名を馳せており、自身もまた低迷期を迎えていた。主演の鶴田浩二も岡田と俊藤浩滋の招聘により東映に移籍してからは、かつてのような大ヒットに恵まれず、やはり低迷していた。一方、相方の佐久間良子も東映看板女優としての美貌を誇りながら、清純派から演技派への脱皮を果たせずに思い悩んでいた。 そうした、沢島曰く「三すくみの背水の陣」で臨んだこの作品は、沢島も東撮に単身乗り込み撮影を敢行。出演者、スタッフは全員連日撮影所に泊まり込み、突貫撮影の二週間で撮り上げた。全く新しいスピード感に溢れた時代劇は、村田英雄の曲を主題歌に据えて大ヒット作品となった。これにより沢島、鶴田、佐久間はそれぞれ息を吹き返し、岡田もまた経営者としてやがては頂点までその階を昇って行くこととなる。 鶴田浩二は本作で"着流しヤクザ"という生涯のはまり役にめぐりあった。 高倉健は「ギャング路線」で主役を張るようになっていたが、本格的な大作の準主役は初の抜擢。高倉のスター性をいち早く見抜き、不発続きの高倉を辛抱強く使い続けた岡田は、非の打ちどころのない二枚目鶴田に筋金入りのお嬢様女優佐久間に、時代劇の重鎮・月形龍之介の客演も決まったが「何か足りない。何かもう一つインパクトが欲しい」と懸命に考え高倉の抜擢を決めた。「あんたはそんないい顔してなあ、スタイルもよくて、大スターにならんわけがないじゃないか。今度の役は面白いぞ。一人の女に惚れこんで、その女を兄貴分と二人で奪いあうという男の役だから。この役は何でもないようだけど、絵の中で非常に光ると思うがな」とハッパをかけた。岡田は、そろそろ高倉が大きく飛躍する時期にさしかかっていると見ていた。高倉は岡田の起用に応え、義理と人情に生きる侠客の宿命を体ごとたたきつけて従来の甘さを一掃し、ムンムンするような男の魅力を発散、本作をターニングポイントとし、東映の看板スターとなる切っ掛けを掴んだ。岡田は本作の高倉の好演を観て「(昭和)39年度には高倉を一億円スタア(一億円を稼ぐようなスタア)に仕立てる」と宣言した。スターであることを宿命づけられた高倉は以降、無口で禁欲的で任侠道を貫く男という像を壊さぬよう真の映画スターとしての生き方を貫いた。
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監督・キャスティング
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「獣たちの熱い眠り」の記事における「監督・キャスティング」の解説
村川透の監督が先に決まり、主演は松田優作が最初に挙がったが、「善良な男が突然の事件で獣化してゆく。善良性から次第に不良性を帯びてゆく」というコンセプトでは「できあがってしまっている」という理由で、意外性も考え三浦友和がキャスティングされた。「東映の高倉健を継承する役者に育てたい」という出演オファーに、三浦は自身も村川透のファンであり、原作に多いポルノ部分を、かなり削って欲しいと注文をした上で、出演を承諾した。三浦は1982年の正月映画を予定していた同じ東映の大作『大日本帝国』へ出演が決まっており、『大日本帝国』の撮影が1981年の4月にワンシーンだけあったため、頭を角刈りにしていた。三浦は1970年代後半に山口百恵とのゴールデンコンビで大人気を博し、好青年イメージが定着したが、本来は萩原健一や松田優作のような反体制を引きずる役者に憧れを持っており、うってつけの役といえた。三浦の気合に岡田も売り出し号令をかけ、青春スター・三浦友和からハードボイルド・アクションスターへの転換を図るというコンセプトが打ち出された。東宝イメージの三浦から"東映の三浦友和"が誕生!?などと報道するマスメディアもあった。三浦は「この作品が、ひとつのターニング・ポイントだと思っています」と決意を述べ、ハードな暴力シーンやベッドシーンにも挑戦。関根忠郎作成による宣伝惹句は「ウェイク・アップ友和! 今度は俺が攻める番だ。」であった。 三浦の脇を固める俳優は、怪演が目を惹く石橋蓮司他、阿藤海、成田三樹夫、安岡力也、草薙幸二郎、中丸忠雄、中尾彬など、癖の強い役者で固められた。喰うか、喰われるかの状態に追い込んで、友和の生の部分を引っ張り出そうという考えであった。
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