監督へ進出とは? わかりやすく解説

監督へ進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:26 UTC 版)

佐分利信」の記事における「監督へ進出」の解説

戦後引き続き松竹所属してメロドラマ主演するが、キャラクター合った役に恵まれず低迷する1948年昭和23年)、熊谷久虎が代表の芸研プロダクション取締役星野和平とともに就任する。やがて俳優傍ら監督業進出し1950年昭和25年)に石川達三原作の『女性男性』を監督第1作として発表続けて執行猶予』『あゝ青春』『風雪二十年』『慟哭』を監督するいずれも社会性持ちリアリズム色濃い芸術的水準の高い作品で、この4作はキネマ旬報ベスト・テンランクインされた。その後も『人生劇場』『広場の孤独』『叛乱』『心に花の咲く日まで』『愛情決算』と立て続け監督作発表していく。 1953年昭和28年11月8日、『叛乱』の撮影中に膵臓壊疽倒れて中野組病院入院する11月13日には輸血を受けるが重体続き一時危篤報じるマスコミもあった。2回の手術を受けて一命とりとめるが、『叛乱』の監督降板し、残り場面阿部豊代理監督して完成させた。西田税役で出演兼ねており、これも降板して佐々木孝丸代役務めた回復して松竹の『真実一路』への出演が決まるが、黄疸併発して再び療養し文学座提携した監督作心に花の咲く日まで』で再起する次に吉岡達夫小説オレンジ運河』の映画化日本初白黒シネマスコープとして製作する予定ロケハンまで行うが、当時河野一郎農相左翼的偏見なる批判などもあり挫折し日映製作した悪徳』を経て松竹製作した乙女の祈り』が最後監督作となった監督としても活動している間、俳優としては大庭秀雄監督メロドラマ帰郷』、小津監督の『お茶漬の味』『彼岸花』、五所監督の『わが愛』、増村保造監督の『氾濫』などに出演し朴訥ながら重厚な中年男初老男を演じて演技円熟味加えた

※この「監督へ進出」の解説は、「佐分利信」の解説の一部です。
「監督へ進出」を含む「佐分利信」の記事については、「佐分利信」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「監督へ進出」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「監督へ進出」の関連用語

監督へ進出のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



監督へ進出のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの佐分利信 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS