監督へ進出
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戦後は引き続き松竹に所属してメロドラマに主演するが、キャラクターに合った役に恵まれず低迷する。1948年(昭和23年)、熊谷久虎が代表の芸研プロダクションの取締役に星野和平らとともに就任する。やがて俳優の傍ら監督業に進出し、1950年(昭和25年)に石川達三原作の『女性対男性』を監督第1作として発表、続けて『執行猶予』『あゝ青春』『風雪二十年』『慟哭』を監督する。いずれも社会性を持ち、リアリズムの色濃い芸術的水準の高い作品で、この4作はキネマ旬報ベスト・テンにランクインされた。その後も『人生劇場』『広場の孤独』『叛乱』『心に花の咲く日まで』『愛情の決算』と立て続けに監督作を発表していく。 1953年(昭和28年)11月8日、『叛乱』の撮影中に膵臓壊疽で倒れて中野組合病院に入院する。11月13日には輸血を受けるが重体が続き、一時は危篤と報じるマスコミもあった。2回の手術を受けて一命をとりとめるが、『叛乱』の監督は降板し、残りの場面は阿部豊が代理で監督して完成させた。西田税役で出演も兼ねており、これも降板して佐々木孝丸が代役を務めた。回復して松竹の『真実一路』への出演が決まるが、黄疸を併発して再び療養し、文学座と提携した監督作『心に花の咲く日まで』で再起する。次に、吉岡達夫の小説『オレンジ運河』の映画化を日本初の白黒シネマスコープとして製作する予定でロケハンまで行うが、当時の河野一郎農相の左翼的偏見なる批判などもあり挫折し、日映で製作した『悪徳』を経て、松竹で製作した『乙女の祈り』が最後の監督作となった。 監督としても活動している間、俳優としては大庭秀雄監督のメロドラマ『帰郷』、小津監督の『お茶漬の味』『彼岸花』、五所監督の『わが愛』、増村保造監督の『氾濫』などに出演し、朴訥ながら重厚な中年男・初老男を演じて演技に円熟味を加えた。
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