背水の陣とは? わかりやすく解説

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背水(はいすい)の陣(じん)

読み方:はいすいのじん

《「史記淮陰侯伝の、漢の名将韓信が趙(ちょう)の軍と戦ったときに、わざと川を背にして陣をとり、味方退却できないという決死の覚悟をさせ、敵を破ったという故事から》一歩ひけないような絶体絶命の状況の中で全力を尽くすことのたとえ


背水の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:19 UTC 版)

ラジアータ ストーリーズ」の記事における「背水の陣」の解説

少しの間仲間全員攻撃力大幅上昇し、代わりに防御力が0になる。HP残量少な仲間には効果がない

※この「背水の陣」の解説は、「ラジアータ ストーリーズ」の解説の一部です。
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背水の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:57 UTC 版)

故事」の記事における「背水の陣」の解説

詳細は「井陘の戦い#背水の陣」を参照 必敗の陣形である、手取川の戦いにおける柴田勝家淝水の戦いにおける苻堅など歴史上多くの将がこの陣を取って取らされて敗れている。ただ唯一楚漢戦争時に韓信擬態としてこの陣形取り別動隊への注意をそらすことに成功して勝利した。 漢の劉邦仕えていた韓信兵力20万人の趙を約3の兵で攻略しなければならないという難局臨んだ韓信少な兵力で勝つために、少な上に更に川を背にして布陣し兵法疎い少数の軍が攻撃してたように見せかけた。これは兵法道理趙軍総攻撃誘い、空となった城と備蓄別動隊占領し韓信勝利した韓信の背水の陣軍が壊滅しなかったのは、敵が大軍であればあるほど、逆に、しばらく持ちこたえれば自軍勝利することを知っていたから奮戦できたのである。 ところが通俗ではこの重要な戦略伝わらず、戦術定石敢えて無視し軍団逃げ場の無い川の前に布陣させ、兵が逃げ場無く陣形再構築できないことを悟ることで決死の覚悟で奮戦する為に勝利する誤解され、あえて自らを窮地に置き、最大限に力を発揮させようする事を背水の陣と言うようになった

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背水の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 10:23 UTC 版)

天地を喰らうII 諸葛孔明伝」の記事における「背水の陣」の解説

攻撃力の上昇率、守備力低下率とも最大である水辺でしか布陣することができない

※この「背水の陣」の解説は、「天地を喰らうII 諸葛孔明伝」の解説の一部です。
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背水の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:29 UTC 版)

井陘の戦い」の記事における「背水の陣」の解説

故事#背水の陣」も参照 井陘口を抜けた韓信軍は、河を背にして布陣し城壁築いた。『尉繚子天官編に「背水陳為絶地」(を背にして陳(陣)すれば絶地(死に場所)となる)とある。前にして山を背に陣を張るのが布陣基本であり、これを見た趙軍は「韓信兵法初歩知らない」と笑い兵力をもって一気攻め滅ぼそうとほぼ全軍率いて出撃韓信軍に攻めかかった韓信初め迎撃出て負けた振りをしてこれをおびき寄せ河岸の陣にて趙軍迎え撃った。趙の城に残っていた兵も、味方優勢殲滅好機見て、そのほとんどが攻勢に参加した兵力では趙軍圧倒的に上であったが、後に逃げ道のない漢の兵士たち必死で戦ったので、趙軍打ち破ることができなかった。 趙軍韓信軍、さらに河岸の陣ごとき容易に破れと思いきや攻めあぐね被害増えてきたので嫌気し、いったん城へ引くことにした。ところが城近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。城にはごくわずかな兵しか残っておらず、趙軍韓信軍と戦っている隙に支隊攻め落としたのである大量にはためく漢の旗を見て趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、さらに韓信本隊後ろから攻めかかってきたので、挟撃恐怖かられた趙軍総崩れとなり敗れた陳余張蒼によって捕虜となり、泜処刑され逃亡した趙歇襄国現在の河北省邢台市信都区)で捕らえられ処刑された。また李左車韓信によって捕らわれるが、韓信上座用意して李左車先生賞し、燕を下す策を献じもらった。そして李左車の策に従い燕を労せず下すことに成功したちなみに韓信尋ねられ李左車は、初め自分の考え述べることに躊躇したが、そのときに彼が放った敗軍の将、兵を語らず」(『史記淮陰侯列伝)という言葉有名である後にこの布陣でなぜ勝てたのかと聞かれ韓信は、「私は兵法書書いてある通りにしただけだ。即ち『兵は死地において初め生きる(「之れを往く所無き投ずれば、諸・劌の勇なり(兵士たちどこにも行き場のない窮地置けばおのずと専諸曹沬曹劌)のように勇戦力闘する)」『孫子』九地篇)』」と答えている。これが背水の陣である。 現在でも「背水の陣」は、退路断ち(あるいは絶たれ決死の覚悟を持って事にあたるという意味故事成語となっているが、韓信それだけでなくわざと自軍を侮らせて敵軍を城の外へ誘い出し調虎離山)、背水の陣で負けない一方、空にさせた城を落とし、敵の動揺突いて襲撃し勝機逃さない、と最終的に勝つための方策も行っているのである城塞籠っ場合兵力少なくても突破されないし、瞬時相対する兵力互角上である。これに城壁優位性と兵の死力加われば兵力差が絶大でも相当戦うことができる。しかし相手自軍を侮らず普通に攻め続ければさすがにいつか落ちるから、相手嫌気して引き返すことも当初から意中にあったであろう。 これが単なる賭けではない点は、事前に間者多く放ち情報収集しているところに見ることができる韓信希代名将と言われるゆえんである。

※この「背水の陣」の解説は、「井陘の戦い」の解説の一部です。
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背水の陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:08 UTC 版)

陳余」の記事における「背水の陣」の解説

その後韓信張耳率いる漢の討伐軍が、魏と代を制圧した後に趙へ攻め込んできた。漢軍は細い間道を通って攻めてきたことを知った広武李左車背後攻めるよう進言するが、陳余趙軍20もおり、正攻法打ち破なければ他国笑われる取り合わなかった。 陳余張耳はついに敵軍同士として対峙することになった井陘の戦い)。韓信は川を背に砦を組み20の趙の軍勢戦った劣勢の漢軍は押されて砦に逃げ込んだが、退路がないため死にものぐるい抵抗し攻めあぐねた趙軍はいった城へ戻ることにした。だが、そのときには伏せていた2千の漢軍の別働隊が城占拠しており、前後に敵を受け拠点失った趙軍混乱して四散し大敗した陳余張蒼によって捕らえられて泜処刑され張耳趙王即位した

※この「背水の陣」の解説は、「陳余」の解説の一部です。
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背水の陣

出典:『Wiktionary』 (2018/03/31 23:34 UTC 版)

成句

はいすいのじん

  1. これ以上下がれない状態で、必死物事行うこと。
  2. 後がない状態に身を置く置かれること。

出典

白文信乃使萬人先行、出背水(「」とするテキスト多数)。趙軍望見大笑
訓読文信乃萬人をして先行し出でを背にして陣せしむ。趙軍望み見大いに笑う
語釈韓信は、一万の兵を先行させ、(井陘を)出て、川を背にして陣構えさせた。趙軍はこれを遠くに見て、(その無謀さに、又は、戦を知らないことに)大い笑った
解説】漢の将軍韓信趙軍戦ったときに、兵の退路断って死にものぐるい戦いをさせたことに因む実際は谷間の口(井陘)の前に陣取り一斉攻撃できないようにし、時間稼いだところで、別働隊が空になった相手本拠地襲い挟み撃ちしたもの

翻訳


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