たねだ‐さんとうか〔‐サントウクワ〕【種田山頭火】
種田山頭火
種田山頭火
種田山頭火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 08:43 UTC 版)
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)[1]、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「自分に分け入る 放浪の俳人・山頭火の日記をたどる」『日本経済新聞』朝刊2021年3月28日9-11面
- ^ 金子 1974, p. 23-26.
- ^ 日本国語大辞典, デジタル大辞泉,大辞林 第三版,精選版. “山頭(サントウ)とは”. コトバンク. 2019年4月18日閲覧。
- ^ a b c “「山頭火」という名前”. まつやま山頭火の会. 2019年4月18日閲覧。
- ^ 金子 1974, p. 22-23.
- ^ 村上 1988, p. 10.
- ^ 金子 1974, p. 20.
- ^ 光田伸幸「山頭火年譜の第一項」『種田山頭火ノオト 第一号』種田山頭火研究会発行、1981年
- ^ 村上 1988, p. 不明.
- ^ 金子 1974, p. 22.
- ^ 村上 1988, p. 18.
- ^ 村上 1988, p. 19.
- ^ 村上 1988, p. 24.
- ^ 村上 1988, p. 31.
- ^ a b 村上 1988, p. 43.
- ^ 村上 1988, p. 39.
- ^ 村上 1988, pp. 61–62.
- ^ 村上 1988, p. 81.
- ^ 信州人物誌刊行会 2012, p. 64.
- ^ 信州人物誌刊行会 2012, pp. 64–65.
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)200頁
- ^ 新編 山頭火全集(全八巻)春陽堂書店(2021年11月21日閲覧)
- ^ 種田山頭火賞 春陽堂書店(2022年11月2日閲覧)
- ^ 「第5回種田山頭火賞」授賞式ロバート・キャンベルさん 古典籍から感染症解く 『東京新聞』夕刊2022年10月27日3面
- ^ “桃井かおり 種田山頭火賞受賞に感激「冗談抜きで泣きそうになった」”. 毎日新聞. (2023年10月21日) 2023年10月21日閲覧。
- ^ “早坂暁と「NHKドラマ」”. NHK. 2020年6月29日閲覧。
- ^ “ドラマスペシャル 山頭火 何でこんなに淋しい風ふく”. NHK. 2017年10月3日閲覧。
- ^ 南海放送50年史 141/358
- 1 種田山頭火とは
- 2 種田山頭火の概要
- 3 主要な著作
- 4 参考文献
- 5 関連項目
種田山頭火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:05 UTC 版)
「浄ノ池特有魚類生息地」の記事における「種田山頭火」の解説
自由律俳句で知られる俳人種田山頭火(たねだ さんとうか)は、1936年(昭和11年)4月、熱海まで汽車を使い、熱海から徒歩で伊東を訪ねている。当時山頭火は53歳、伊東温泉に数日間滞在し、伊豆はあたたかく死ぬるによろしい波音、湯の町通りぬける春風、はるばるときて伊豆の山なみ夕焼くる、などの句を残している。山頭火が宿泊したのは和田湯から東へ3軒目にあった「伊東屋」(現存しない)という木銭宿であったが、すぐ側にある浄の池へも訪れている。そのときの様子は山頭火の其中日記(ごちゅうにっき)の中に次のように記されている。 四月十九日 雨、予想した通り。みんな籠城して四方山話、誰も一城のいや一畳の主だ、私も一隅に陣取つて読んだり書いたりする。午后は晴れた、私は行乞をやめてそこらを見物して歩く、浄の池で悠々泳いでゐる毒魚。伊東はいはゆる湯町情調が濃厚で、私のやうなものには向かない。波音、夕焼、旅情切ないものがあつた。一杯ひつかける余裕はない、寝苦しい一夜だつた。 — 種田山頭火、其中日記
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