笠へぽつとり椿だつたとは? わかりやすく解説

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笠へぽつとり椿だつた

作 者
季 語
椿 
季 節
春 
出 典
前 書
 
評 言
 平成15年長崎県平戸市にて「第12回全国山頭火フォーラム」が開催された。昭和7年山頭火放浪の旅途中で平戸訪れた縁があったからだ。海程入会して間のない私は、金子兜太師の記念講演聴くため平戸出向いた。その時講演で、山頭火平戸をいたく気に入り定住したいと思ってたらしいということ知った確かに山頭火は、「平戸日本公園である」と賞賛している。
 この句は、御厨(現・松浦市)のとうふやで記した4月4日日記行乞記)の中にある。
 長崎県北平戸松浦は季節になるとどこもかしこも藪椿咲いているという。笠に椿落ち可能性至る所にあった思われる
 遡って佐世保滞在中の3月26日食した豆腐当たって相当苦しんだようで、27日日記には終日臥床記し、「旅で一人病むのは罰と思ふ外ない」「病めば必ず死を考へる」と死への恐怖おののく心境吐露している。しかし、31日には佐世保発ち腹痛苦しみつつも行乞しながら旅を続けている。その行動力の源は何だろうか。
 三省堂名句名歌辞典 佐佐木幸綱復本一郎編」に、「行乞僧にとって、網代笠精神的に身体と一体のもの。花が丸ごとの上落ちかかるのは、死の予兆と受けとめた。」とあるが、山頭火にとっては、笠に落ちた赤い椿生々しく、むしろ生へ執着募らせることになったではないか考える。
 それは、4月6日日記に、「死! 死を考へると、どきりとせずにはゐられない、生をあきらめ死をあきらめてゐないからだ、ほんたうの安心が出来てゐないからだ、何のための出離ぞ、何のための行脚ぞ、あゝ!」と、己の心の弱さ嘆きつつも生へ執着捨てきれない山頭火苦悩見られるからだ。  
 托鉢僧の姿で行乞する山頭火放浪自生徹見の旅であったといわれるが、この句よりうかがえる人間臭い山頭火に、私はむしろ共感覚える。

 
評 者
備 考
 



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