ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
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冬 |
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評 言 |
ふくろうは生きてゆくため夜間小動物をとらえるためにねむってはいられない。山頭火は山頭火で不眠の夜の孤独に堪えている。 今や山頭火の俳句は諸外国でも人気が高く芭蕉に次ぐ勢いだと云う。中学生の国語教科書にも掲載され、文部省検定の全教科書に載っているそうだ。しかし、このふくろうの句を詠んだ頃の山頭火の胸中はいかがなものであっただろう。 昭和十年八月、自殺をはかる。「死ねる薬を掌にかがやく青葉」、「死を前にして涼しい風」等、自殺未遂によって自得したそれらの句を公表した。自身を客観視するために。 十歳の時、母の投身自殺、三十六歳のとき弟二郎自殺、死はいつも山頭火の身近にあって離れなかった。 凶悪で陰性な死のイメージを持つ梟が「ホウホウ」と鳴いて山頭火の来し方を責める。 袋小路に追いつめられるように出家得度した。しかし彼の仏教はかなり恣意的に自分の都合で解釈していたようだ。本格的は仏道修行を諦め、生きる手段として行乞を行い、旅を住処として俳句に傾いていった。最後は墨染の衣を脱ぎ捨て、鉄鉢も句友に譲って乞食姿になる。すべての虚飾を捨て死に場所を求め喜捨にすがり乞い歩いた。日記に「俳句ほど作者を離れない文芸はあるまい(短歌も同様に)、一句一句に作者の顔が刻みこまれてある、その顔が解らなければその句はほんたう(ママ)解らないのである。」 虚飾に満ちた現代の俳人達も少しは反省していかなければいけないのではないだろうか。 |
評 者 |
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備 考 |
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