故事成語
故事
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故事(こじ)とは、大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう。
- ^ 『荘子』 秋水
- ^ “「井の中の蛙大海を知らず」には実はポジティブな続きがあった! /毎日雑学”. ダ・ヴィンチ. KADOKAWA (2020年10月9日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ 『後漢書』列伝11・邳彤伝
- ^ 『後漢書』列伝9・耿弇伝
- ^ 『歴代名画記』 巻七 梁
- ^ Wikiquoteの中国のことわざに、水衡記を典拠とする記述があります。
- ^ 『列子』 説符篇
- ^ 『列子』 天瑞篇
- ^ 『戦国策』 燕策
- ^ 『晋書』 車胤伝
- ^ 『孟子』 魏恵王 上
- ^ 『淮南子』 巻十八 人間訓
- ^ 『史記』項羽本紀
- ^ 『韓非子』 五蠧篇
- ^ 『春秋左氏伝』桓公12年 - 国立国会図書館デジタルコレクション 春秋左氏伝(日本語訳)八二頁
- ^ 春秋左氏傳 桓公 (中国語), 春秋左氏傳/桓公#桓公十二, ウィキソースより閲覧。
- ^ 『孟子』 公孫丑 上
- ^ 『漢書』 朱雲伝
- ^ 『晋書』 孫楚伝
- ^ 『詩経』 小雅 鶴鳴編
- ^ 世說新語 黜免 (中国語), 世說新語/黜免#2., ウィキソースより閲覧。
- ^ 『荘子』 斉物論
- ^ 『列子』 黄帝篇
- ^ 『戦国策』 楚策 - 楚の宣王に対して家臣の江乙が話したたとえ話。他国が令尹(宰相)の昭奚恤を恐れるのは、実際は楚王の軍を恐れるゆえと説明するため。
- ^ 『荘子』徳充符より
- ^ 『春秋左氏伝』成公十年より
- ^ 『無門関』「六則」
- ^ 『戦国策』「燕策」より
故事成語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:20 UTC 版)
『論語』に由来する故事成語には、以下の例がある。 一を聞いて十を知る - 公冶長篇「賜也何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二」一端を聞いただけで全体を理解すること。理解が早く聡明であること。 牛刀をもって鶏を割く - 陽貨篇「割雞焉用牛刀」小さなことを処理するのに大げさな手段を用いること。 過ちて改めざるをこれ過ちという - 衛霊公篇「過而不改、是謂過矣」過ちを犯しても改めないことこそが、真の過ちである。 過ぎたるは猶お及ばざるが如し - 先進篇「過猶不及」適当な程度を超えているのは、不足と同じ。中庸が大切であるたとえ。 憤せずんば啓せず - 述而篇「不憤不啓、不悱不発、挙一隅不以三隅反、則不復也」心に理解できなくて、憤り奮い立つほどでなければ、教え導かない。自発的にやろうとしない者には教えない。 径(こみち)によらず - 雍也篇「有澹臺滅明者、行不由径」小道を通らないで、大道を行く。人生においては近道をしないで、正直にしたがい歩む。 性相い近し、習い相い遠し - 陽貨篇「性相近也、習相遠也」人間は生まれつきの天性はたいして差がないが、後天的な習慣によって大きく違ってくる。 徳は孤ならず - 里仁篇「徳不孤、必有鄰」徳のあるものは、決して孤立することはなく、必ず従う者、助ける者がいる。 和して同ぜず - 子路篇「君子和而不同、小人同而不和」人と仲良く打ち解けても、道理に背いてまで人にへつらわないこと。
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故事成語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:54 UTC 版)
呉下の阿蒙 士別れて三日なれば、即ち更に刮目(かつもく)して相待す(あいたい・す)べし - 日本では「男子三日会わざれば刮目して見よ」という形に変化している。 虎穴に入らずんば虎子を得ず(不入虎穴焉得虎子)
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故事成語
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「山雨来たらんと欲して風楼に満つ」 許渾の「咸陽城東楼詩」の「渓雲初起日沈閣、山雨欲来風満楼」から。山雨が降り出そうとする前にまず風が高楼に吹きつけてくる。転じて、今にも大事件が起こりそうな、穏やかでない雰囲気が立ちこめている状態のたとえ。 当時は唐王朝の衰退期にあたり、将来を心配する気持ちの現れと見られている。
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故事成語
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麗沢は兌なり。君子以て朋友講習す(象伝) - 並んでいる沢が互いに潤し合っているように君子も友人と議論を交わしつつ学び、お互いを高め合う。
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故事成語
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「後出師表」の中の「臣鞠躬尽瘁、死而后已(臣は鞠躬尽力し、死して後に已む、)」は(四字熟語としては「鞠躬尽瘁」)は「全身全霊でやり抜く」という意味でつかわれる。『三国志演義』にも引用されたほか黄宗羲の「巡撫天津右僉都御史留仙馮公神道碑銘」にも引用されている。現代では朱鎔基首相が2001年に演説で使用した。
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故事成語
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故事成語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 12:18 UTC 版)
本来はスープなどの材料であるが、一般に骨についている筋肉は旨味を多く含んでいることから肉として美味であるため、昔はしゃぶって食べる事もあった。しかし、肉は僅かしかついていないので、出汁にはできてもしゃぶって食べたところで腹は満たされない。このことから「大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの」を指して「鶏肋」というようになった。 初出は『後漢書』「楊震伝附楊修伝」や『三国志』魏書「武帝紀」の注に引く『九州春秋』に記録がある曹操(魏の太祖、武帝)の言葉。漢中郡をめぐる劉備(蜀の先主)との攻防戦において持久戦をとる劉備軍に曹操軍が苦戦を強いられた時、曹操が食事中無意識に発した「鶏肋」を伝令が触れ回り、誰もその意味を理解できない中で側近の楊修は撤退の準備をさせた。周囲からその理由を問われた楊修は「鶏肋(鶏のあばら骨)は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついていない。すなわち、漢中郡は惜しいが今が撤退の潮時とお考えである」と説明したという。 曹操は勝手に撤退準備を始めた楊修を、軍規を乱したとして即座に処刑し、兵士に見せ付ける。この一件の前にも、楊修は曹操の言動から彼の真意を見抜くことに長けていたため、曹操から危険視されていた(楊修が曹操の後継者として世子の曹丕でなく庶子の曹植を支持していたのも曹操の不興を買ったという)。
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